黙ってayuを聞け

浜崎あゆみさんの歌 とりわけ歌詞の魅力を語るブログ

再考:『絶望三部作』

参照:絶望三部作 14thシングル『vogue』、15thシングル『Far away』、16thシングル『SEASONS』

 

vogue

 

自らを敢えて「君」と呼び、いずれ散る事を思いながらも「君」を美しく咲き誇らせようとする心境は、やはり並大抵のものではない。そして、まぎれもないトップの地位にある時に「絶望」と正面から向き合い、こうして散って行く事を考えていたあゆが、その後もキャリアを重ね歌い続けたことは誰もが知る通りだ。

先日記事にした『Secret』収録の『1 LOVE』では、いかにして「花」を咲かせ続けてきたかが描かれ、『until that Day...』では「この場所を飛び出してった時」に「満足そうな顔をしている」だろうということが示唆されつつ、「その日」までは「まだまだ終われない」と言い切ってみせた。もしもこの『絶望三部作』の時点で早々に「散る」事を選んでいたら、当然その後の数々の作品は生まれるはずもなく、去りゆくあゆは「満足そうな顔」などしなかったかもしれない。あゆが歌い続ける道を進んだ事を我々聞き手は感謝すべきだろう。「絶望」と呼ばれた三部作ではあるが、絶望に立ち止まらずその先へと歩んでいく「決意」や「覚悟」を示した三部作とも言えるのではないか。

 

 

Far away

 

人は「通過駅」と呼ぶが、「ふたりには始発駅で 終着駅でもあった」というのは、恐らくこの恋だけではない、どんな恋もそうだろう。その時の相手とは、その時限りの恋をしている。ただ通り過ぎただけだと割り切るのは、そう簡単ではない。

かつて「あなた」と訪れた海を今は一人見つめながら、遠い「あなた」の元にも海はつながっているだろう、「同じ景色」を見ているだろうと思う描写は感傷的ではあるが、「新しく」「生まれ変わる」ための準備でもあるだろう。完全に吹っ切れたわけではないが、いつかの海をそれぞれの場所で眺めながら、お互いに前へと進んでいこうとしている。「駅」を使ったメタファーからは、海を求めて遠出をするイメージも感じられ、その旅は未練を辿るだけのものに留まらないはずだ。「もうすぐで夏が来るよ あなたなしの…」という終わりは、「あなた」のいない切なさと、それでも新しい季節を感じている複雑な感情を表した、絶妙な表現である。

 

 

SEASONS

 

楽曲のモチーフを、『vogue』が「花」、『Far away』が「海」とすれば、『SEASONS』はやはり「季節」がだろうか。ジャケットのイメージで言えば「空」でも良いかもしれない。季節や天候を人々は空で見ている。

ところで36thシングル『fairyland』のAメロは、『SEASONS』のAメロと少しだけ似ている。どちらの曲も無邪気な頃を過ぎて年月を重ねていく心情を描いているし、『SEASONS』は『Far away』で夏の訪れを示した後の作品で、『fairyland』も夏歌だ。夏という季節が持つ高揚感は、刹那的な衝動と紙一重であり、だから秋にはしんみりとした音楽がよく似合うのだが、あゆ作品には夏の時点で既にその感傷まで描いているものも多い。『vogue』のように「花」を描く時にも、咲き誇る様子を見ながら散るところまで見据えているので、この無常観が作品を形作る要素の一つと言える。

fairyland』が『SEASONS』と少し違うのは、思い出の中に出てくる人の数が『SEASONS』よりも多いこと、「そして何を見つけるだろう」と終わった『SEASONS』からより踏み込んで、「最も永遠に近い場所にいる」と一つの答えが出ていることだ。季節が巡れば思い出は遠くなるが、時を経る中で得てきたものが、世界を更に豊かにしていくのである。

 

 

ever free

 

「三部作」と言うからには3曲で終わって良いはずだし、『vogue』『Far away』『SEASONS』のつながりに不足はないのだが、それでも尚存在するこの楽曲が、「絶望」に含みを持たせている。『vogue』のカップリング、歌詞の非公開という形が意味深だ。流行が過ぎる『vogue』、恋人と別れた『Far away』、思い出が遠ざかる『SEASONS』と、思えばどの作品でも何かを失ってきたが、『ever free』における「死」という喪失はやはり大きい。『絶望三部作』の「絶望」の部分は、この歌こそが強調している部分なのかもしれないとさえ感じられる。

この時あゆが葬ったのが何であれ、それが後のあゆの道に必要な過程だったのなら、『ever free』が三部作に与えた重苦しい深淵さえ、聞き手にとっては幸運だった。「歌手・浜崎あゆみ」そのものは葬らずに済んだのだから。

 

 

 

 

いずれ載せるつもりだった、初期作品の再考記事を書いてみました。

今のところ考えている書き方はアルバム単位であり、当初は順当に『A Song for ××』から再考していくつもりだったのですが、敢えて『絶望三部作』を最初に持ってきました。

と言うのも、アクセス解析で見ると、今に至るまで『絶望三部作』へのアクセスが圧倒的に多いのです。

様々な理由が考えられますが、あゆがスターダムへ駆け上がった頃の衝撃的な作品である事、『絶望三部作』という呼び名がある事などが大きなところだと思います。

 

久しぶりの投稿になったので、全くの新しい記事を期待していた方がいらっしゃったら、申し訳ありません。

次の記事を楽しみにしていて下さい。