黙ってayuを聞け

浜崎あゆみさんの歌 とりわけ歌詞の魅力を語るブログ

再考:『A Song for ××』(前編)

参照:1stアルバム『A Song for ××』(前編)

 

モノクロのジャケットに映ったあゆは、覗き込むような瞳でこちらを見ている。あゆの力強い眼差しを強調したジャケットはいくつもあるが、この時は力強さよりも、飾らない想いを伝えたいというひたむきさを感じる。それはそのまま、このアルバムに収められた作品を表すかのようだ。後から顕著になるテーマや言葉遣い、歌い回しにはこの時点では想像も出来ないものもあるが、あゆ作品の核に存在し続ける生々しい感性は確かにここにある。

 

 

A Song for ××

 

デビュー曲『poker face』で描かれたのが、歌手として伝えてゆきたいものの最初の一歩であったのなら、この楽曲はあゆを歌い手たらしめる感性の原点が表れているのかもしれない。聞き手が覗い知れることはわずかだが、恐らくこの作品には、それまでの人生でどんな心を抱えて生きてきたのかが描かれているのだろう。

「どうして笑ってるの」「いつまで待っていれば 解り合える日が来る」という問い掛けには、目の前にいる人にたずね、気持ちを量っているような印象がある。一方で「いつから大人になる いつまで子供でいいの」「どこから走ってきて ねえどこまで走るの」という質問は、より人間の本質に関わるものだ。一体、これらに即座に答えられる人がどのくらいいるだろう?

「色んなこと知り過ぎてた」という、精神的には早熟な主人公は、「強い子だね」「泣かないで偉いね」という望みもしない褒め言葉に「解らないフリ」をしながら、人知れず「笑うことさえ苦痛になっ」てゆく。しかし「一人きり」という孤独感は「思ってた」と過去形で語られている。一人きりではなくなるような、誰かに出会ったのだろうか。その誰かは、この歌にある数々の問い掛けに何と答えるのだろうか。

 

 

Hana

 

「大人になっていくことと 無邪気な子供でいるのは どっちが辛いことですか」。ここでも『A Song for ××』のように、大人と子供の対比が描かれる。言うまでもなく、花は成長しているからこそ咲くものだ。疾走感のある曲に合わせて語られる、「まっすぐ伸びて行く」花の、美しさや誇らしさ。それは主人公の「一人くらい探そうとしてくれたりしますか」「一人くらい聞く耳持ってくれたりしますか」という頼りなさを一層強調するかのようだ。成長を経て、過去にも未来にも迷わずに“今”咲く花を目の前にすれば、「そんな質問はやめましょう」となってしまう。

全体が丁寧語で綴られた歌詞に、世間と自分とに距離を感じる遠慮のようなものが滲んでいるようにも思える。1stにしてヒットを飛ばしたアルバムの中に「誰かに届きますか」という問いがあることは、とても感慨深い。

 

 

FRIEND

 

FRIEND』で「離れてても胸の奥で友達だよ」とゆったり歌っていたのとは対照的に、この歌では「君の気持ちも知らずにごめんね」と、間に合うかどうかも分からないまま駆け出してゆく。「Ⅱ」とタイトルにあるが、同じ相手のことなのだろうか。

「今頃やっと気付いた」「悔やみ出すときりがなくて」という歌詞に後悔が滲んでいる。「何でも解っている」つもりだった主人公は、「君」が出す「私へのSOS」を見落としてしまっていた。「君」から優しくされ、大切にされていたにも関わらず。ギヴアンドテイクなどという単純な話ではなく、助けてもらえるありがたさにばかり寄りかかっていては関係は成り立たない。だが、もう手遅れだと決まったわけでもない。少なくとも今の「私」は誠意を尽くそうとしている。ひどい裏切りや行き違いがないのなら、「最高の仲になっていたい」「深い絆が出来ると祈って」という想いは叶うと、聞き手は信じよう。

 

 

Wishing

 

「私」と「君」は、「同じ環境で似た様な経験積んで来ている」という。「あの頃まだ失うモノの方が多かった」「今度は私が守るからね」「ホントは君も強くはないし 一人じゃいられない事も知った」と、互いの痛みを支え合うような描写もある。「私」の温かい心が歌われているのにどことなく切ないのは、メロディーの悲しさのせいだけではないだろう。

一文一文、「君」にそっとやわらかく語りかけるような歌詞を経て、「君が大好きなあの人と 幸せになれますように…」という結びに辿り着くと、それが「私」にとってどれほど深い願いなのかが分かる。ふたりが想い合う気持ちの強さも。「君」もきっと同じように「私」の幸せを願うのではないか、と想像せずにはいられない。

 

 

※元記事「1stアルバム『A Song for ××』(前編)」を少しだけ修正しました。