黙ってayuを聞け

浜崎あゆみさんの歌 とりわけ歌詞の魅力を語るブログ

17thアルバム『M(A)DE IN JAPAN』(前編)

カバー曲を除き先行楽曲が一切なかった、挑戦的なオリジナルアルバム。アルバムタイトルの「(A)」はロゴ表記。

A ONE』、『sixxxxxx』と、ダークさや繊細さが滲み出る路線が続き、今回もまた、特に前半ではかなりシリアスな世界が描かれる。しかし何より注目すべきは、「made in Japan」というタイトルだ。例えば『Rock’n’Roll Circus』や『Party Queen』のように、海外でレコーディングをした際にも、様々な刺激があっただろう。しかしタイトルから「日本」を強調するというのは、その時とは全く違う何かがあったと想像出来る。

ジャケットは、縄で拘束された両手首を目の前に構えるあゆの顔のアップで、形態によって目線が違う。その縄は何を意味するのだろう?知らないうちに絡みついていたしがらみか、あるいは自らが課してしまった制約か……。いずれにしても、生まれ、生きてきた日本の地で、解き放たれていく事を願いたい。

Blu-ray付属盤、DVD付属盤、CDのみ盤の3形態で発売。Blu-ray及びDVDには、3曲分のPVとメイキングを収録。また、Blu-ray付属盤とDVD付属盤には「ayumi hamasaki LIMITED TA LIVE TOUR at Zepp Tokyo」の映像を更に付属したファンクラブ限定盤もある。

 

 

〔『M(A)DE IN JAPAN』の記事 【前編】 【中編】 【後編】

 

 

tasky

作曲・編曲:tasuku

 

アルバムの幕開けを飾るのは、tasukuさん恒例のインストゥルメンタル。EDMのリズムに、アルバムタイトルにふさわしい和風のサウンドとメロディーが絡み、神秘的なイメージを保ちながら『FLOWER』へと繋がっていく。

 

 

FLOWER

作曲:湯汲哲也

編曲:tasuku

 

part of Me』や『GREEN』などで和の音階の美しさを生み出してきた湯汲哲也さんの楽曲。編曲は前曲に引き続きtasukuさんが手掛けているが、こちらは雅やかな和楽器の音色と、激しく暴れるヘヴィーメタルが組み合わせられている。

主人公が思い出しているのは故郷での記憶……子供時代だろうか?「花咲く頃」を懐かしみ、「手を引いてくれた君の 温もりが残ってる」と語る。美しい思い出を振り返る和風の楽曲と言えば、『theme of a-nation '03』があるが、そちらは懐かしさを抱きつつ未来を見つめる内容だったのに対し、今作は思い出の優しさと直面する現実の厳しさの落差が激しい。「あの頃は楽しみだった」「今思えば幸せだと 思う日も過ごしました」という過去は過去でしかなく、「優しく笑ってた君」はもういないのだ。

サビは激情を湛え、あゆの叫ぶようなヴォーカルが炸裂する。「花になって棘をもって枯れて散って朽ち果てたい」と、歌詞も凄まじい。あゆが「花」を題材にする時、「散る」事に重きを置いているのは既に何度も述べてきた通りだが、この歌では「棘をもって」という攻撃性や、「枯れて散って」の先まで踏み込んだ「朽ち果てたい」という破滅的な発想が目に付く。例えば『vogue』なら、自らの栄華を「咲き誇ろう」「美しく花開いた」「ただ静かに散ってゆく」と儚い優美さで表現していたところを、「拾わないで離れてって 忘れてって」とまで言う。わざわざ忘れられる事を願う心情は、一体何処から生まれてくるものなのか。

更には、「トドメ刺して終わらせて」と自然に任せて散る以上の願望を持ち、「鳥になって」目指したいのは「痛みもない愛もない 向こう側」であると、最早死の影までちらつかせる。「痛み」はともかく「愛」さえも必要とせず、全くの無になりたいという悲痛さ。湯汲さんの楽曲で「花」や「鳥」が出てきた『Moments』のような、他人に向けられた愛情があるわけでもない。幸せな日々を過ごした故郷を去り、温もりをくれた「君」も失い、主人公は辿り着いた世界で何を見たのか。引き返す事すら出来ず、ただ終わりがもたらされる事を願うだけなのだ。

PVでは、あゆが淡い光の部屋でソファーに腰掛けているところから始まる。蝶をあしらったドレスをまとい、さながら自身が花そのものになったかのようだ。優雅で淑やかなイメージはやはりサビに入ると一転、感情が爆発したかのように歌い、2番以降あゆはドレスを引き裂き、髪を滅茶苦茶に切り落とし、半狂乱になる。これだけの取り返しのつかない内容が、ワンカットで撮られている事にも注目したい。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ FLOWER 歌詞 - 歌ネット

 

 

Mad World

作曲・編曲:tasuku

 

ロックサウンドの中で、物悲しく心細いピアノが鳴っている。それがかえって、警鐘のようにも聞こえるバラードである。

主人公の「私」は、樹々や風がもし話せたら「何を訴えるだろう」と考える。「無残に切り倒され」た樹々、「原型なく汚染され」た風の描写に、「私」がいかに胸を痛めているかが伝わってくる。環境破壊も議論が巻き起こって久しいが、現在の行動が未来の破滅につながるという事を人類が自覚出来たとは未だ言えない。問題を先送りにする現状を表現した「ツケの神が笑ってる」という歌詞が、この上なく鋭利で秀逸だ。「私」は、「本当を誰に吐けばいい」「本音はどこにやればいい」と、「狂った世界」を憂う気持ちを抱えたまま立ち竦んでいる。

環境破壊を歌う内容は初めてだが、「社会の問題」と広い括りで考えると、決して珍しい題材ではないと気付く。文明が持つ負の側面を見つめた『everywhere nowhere』、「この青い地球」の「全ての悲しみ」について考える『Last Links』、『my name’s WOMEN』などの女性を描いた楽曲から感じられるフェミニズムを振り返れば、社会全体を見渡す目線もまた、あゆ作品の中には存在すると言えるだろう。

また、それは個人的な出来事を掘り下げる事と正反対とは限らない。あゆ作品は個人的な想いや体験から「人は皆~」「誰もが~」と視野が広がっていく事がよくあるし、そもそも社会全体の問題こそ、一人一人が自分事だと思わなければ解決しないものである。この作品でも、「自分ひとり」の行動を軽んじる向きに「知らぬ誰かが 先に立つのを待つの?」と問い掛けている。それは聞き手の「あなた」にも、そして自分自身にも訊いているのだろう。主人公は途方に暮れながらも、このままではいけないという意識は何処かにあり、「あなた」にも当事者である事を突き付けてくる。その姿勢にハッとさせられる。

PVはモノクロで撮られており、ラフな格好で泣きながら歌うあゆが何人もの手で衣装を替えられ、メイクを施される。あゆの足元には黒い液体が迫る。後ろの大きな画面には、そんな悲しげなあゆとは対照的に過去のあゆの華やかな映像が様々に映されていくが、それも最後には……。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ Mad World 歌詞 - 歌ネット

 

 

Breakdown

作曲:湯汲哲也

編曲:中野雄太

 

同じ湯汲哲也さん作曲で、発表時期も近い『Sorrows』や『Shape of love』とよく似た曲調のバラードだが、歌われている内容は全く違う。ひたすらに孤独で、空虚な悲しみに満ちている。

「優しく笑っているあなたの目」から「この世には愛など存在しないと聴こえた」という、その出だしからして衝撃的だ。やはり「愛」の実在と尊さを信じようとする『Shape of love』とは正反対である。「優しく笑っている」のにそんなメッセージを受け取っているのも何とも悲しい。見るからに冷淡な表情ではなく、一見愛を感じてもおかしくなさそうな様子から感じ取っている、その背景は一体何だろう?

今作の歌詞にはいくつか過去作品を彷彿とさせる表現がある。「相変わらず小さくて頼りない 背中」は『teddy bear』を、「夢に見た場所に辿り着いた気がした時」に目の当たりにした現実は『count down』の「桃源郷」のくだりを想起させる。しかし何よりも、「あとどの位強がったなら 強いねって言葉聞き流せるの」から感じる『A Song for ××』の気配が強烈だ。あゆ作品を貫く孤独はずっと変わらぬ感性で描かれていると実感すると共に、『A Song for ××』から年月を経ても尚、まだ「強いね」という言葉に傷付いているのかと胸を締め付けられてしまう。

「このまま僕は歩いて行くよ」と主人公は言うが、これも誰かを強く想いながら強く踏み出した『Sorrows』とは違う。愛が存在しない世の中を、過ちが繰り返される道程を、ただ引き返せないが故に進んでいるという悲痛さ。「こわいものなど今はもうないよ ただその事がとてもこわいよ」という結び方が重苦しい。最早こわいとさえ思わないほど、感覚が壊れてしまったのだろうか。終盤はヴォーカルにエフェクトがかかり、アウトロも混沌として、まさに「崩壊」してゆく様子が描かれる。「このまま……」という言葉で途切れる終わり方もインパクトが強い。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ Breakdown 歌詞 - 歌ネット

 

 

※『Breakdown』を一か所だけ書き直しています。