冬にぴったりのバラードを集めた、3曲A面シングル。2024年現在、あゆは今作を最後にCDでのシングルのリリースはしていない。また、PVは『A ONE』のDVD及びBlu-rayに収録。
作曲は多くの楽曲をあゆに提供してきた多胡邦夫さん、湯汲哲也さん、小室哲哉さん、そして編曲も中野雄太さん、tasukuさんという強力な布陣。これで3曲もA面というから豪華そのものである。冬歌のアルバムを配信したばかりで、新たな楽曲を聴けるのも嬉しい。
ジャケットは白いレースのドレスのあゆで、凍てつく窓ガラス越しに映したかのような趣がある。
Zutto...
作曲:多胡邦夫
編曲:中野雄太
冬歌では『Together When...』『Days』の提供がある多胡邦夫さん作曲。この2曲は明確に冬を表す言葉が登場しないが、今回は寧ろ、シングルの3曲中で唯一冬に関する言葉が使われた歌でもある。優しさの中にもどこか切なく繊細さを感じる曲調に、一体どんな言葉が寄り添ったのか。
まずは冒頭の、美しい情景に注目してほしい。「舞い落ちる粉雪が 君のまつげに降りて 泣いているような笑顔に 愛しさ募った」。まつげの先の粉雪まで見えるような距離で、どれほどの想いを「君」に向けているかがありありと伝わってこないだろうか。純白の雪の清らかさとも相まって、胸が締め付けられるような心地がする。それでいて、主人公にはまず「誰よりも幸せになってほしい」と「君」に願う気持ちがあり、「それがもし例えばもし 一緒に叶えられるなら」とやや遠慮がちな様子も見せる。
美しさを湛えながら、しかし「ずっとずっと私だけの 恋でいて欲しい」「君が僕の最後の たったひとりの 人だから」「世界中が私達を残して どこか消えてしまったみたい」という歌詞からは、閉ざされた世界にいるような印象も受ける。「時々ふと どこか物悲しい」のは何故だろう? 主人公は「この雪と季節のせいに」してごまかしているけれど……。静かに白く染まってゆく景色の中で孤立しているような、危うげで儚い心情とも取れる絶妙な歌詞が、見事に曲の雰囲気と重なっている作品だ。
歌詞リンク:浜崎あゆみ Zutto... 歌詞 - 歌ネット
Last minute
作曲:湯汲哲也
編曲:tasuku
冬歌では『JEWEL』『momentum』の提供がある湯汲哲也さん作曲。シンプルなサウンドで始まり、2番から一気に激しいロックバラードになる構成は、同じく湯汲さん作曲の『Memorial address』も彷彿とさせる。
「あたし」は今まさに「あなた」が別れを告げようとするその1秒を、「あなたのパーツがひとつひとつと 順に離れてく冷たさ感じてる」「まるでこの身体のどこか 一部をもがれたような痛み」と表現する。それだけの計り知れない苦痛を、まだ曲調が静かなうちに歌う事でかえって引き立たせる表現が素晴らしい。逆に2番では、「可愛く微笑み合ってたふたり」の幸せだった過去を既に激しくなった曲調に乗せているので、強烈な対比となっている。そしてサビでは、「最後の言葉だとか考えてるんでしょう」「最後の笑顔なんて覚えてたくないわ」と、悲しい叫びが響き渡る。
また、この作品でも「永遠」という概念の使い方に注目したい。二人の関係については、「永遠がないのはわかっていても」と、やはり「永遠」を信じない事を綴っている。一方、「あなたは思い出になる事で永遠になる」という部分からは、この先変えようのない過去を「永遠」と呼ぶ哲学が読み取れる。二人が永遠に共にある事は出来ないのに、別れ際の思い出こそが永遠になるとは、何と不条理なのだろう。だから「最後の笑顔」は覚えていたくないのである。
そして歌の終わりでは、「愛されたいと願うあたしが誰のことも 愛せないことにあなたはきっと 気付いたのね」と、絶望の底まで突き落とされる。自分の一部がなくなるかのような痛みは、一見愛情の証にも思えるが、その実相手と自分の境界を踏み越えた独り善がりだったのだろうか。「傷つけた傷」という言葉から、相手を傷つけた事がそのまま自分に跳ね返ってきていることも分かる。「あたしが誰のことも 愛せない」と気付いたのは、「あなた」と言うより、「あたし」自身だったのかも知れない。
歌詞リンク:浜崎あゆみ Last minute 歌詞 - 歌ネット
Walk
作曲:小室哲哉
編曲:中野雄太
冬歌では『snowy kiss』のある小室哲哉さん作曲。ゆったりと広がっていくような曲調に、人生について問い掛けるような歌詞を合わせているのは、同じく小室さん作曲の『Ivy』にも通じるものがある。
主人公の「僕」は一日の終わり、様々な事に思いを巡らせている。「あの人は優しい日を送れたかな」「あの道はどこへ辿り着いたんだろう」と、自分ではない誰か、ここではない何処かについて考えた後、簡単に答えの出ない問い掛けが多く湧き上がる。「どこまでなら 素直になっていいのか」「どこまでを 優しさだと言うのか」「他人は何を指して ワガママだと呼ぶのか」「もしも偽ったなら 許されると言うのか」……。
これらは「僕」のごく私的な人間関係の話だろうか。それともスターであるあゆと仕事で関わる人達との、あるいは我々ファンとの関係の話だろうか。いずれにしても、自分の気持ちを押し込めるのが優しさで、押し通すのがワガママである、というような単純な図式でない事は想像がつく。恐らくは一人で自問自答しているのであろう。それだけに、「君を悲しませたかな」という一節は、急にこちらに問われたようでドキッとする。
歌は「こんな毎日だよ」「だけど胸張って」「生きてるよ」と、シンプルに締めくくられる。『A Song for ××』のような初期からずっと、あゆはそうして悩む姿を見せてきた。答えがはっきりして、順調に歩んでいるから胸を張るのではない。答えの出ない問いに真摯に向き合い、上手くいかない事があっても歩み続けている事に胸を張っている。少なくとも我々は、そんなあゆを見て悲しむより、励まされてきたのではないだろうか。
歌詞リンク:浜崎あゆみ Walk 歌詞 - 歌ネット
今日は4年に1度のうるう日です。
特別な何かがある訳ではなくても、4年に1度と考えるだけで何だかワクワクしました。
相変わらず更新頻度が低いので、せめてこのワクワクした日に投稿出来ないかと頑張りました。結局ギリギリでしたが💦