黙ってayuを聞け

浜崎あゆみさんの歌 とりわけ歌詞の魅力を語るブログ

46thシングル『Sunrise/Sunset ~LOVE is ALL~』

両A面シングル。同じメロディーの楽曲に、違う歌詞を乗せ、違うアレンジを施すという試みがなされた2曲。ジャケットは南国のような景色の中、ブラウンのビキニにパレオという姿で立つあゆ。CDのみ盤とDVD付属盤で少しポーズが違う。DVDには両曲のPVと、『Sunrise』のメイキングを収録。

 

 

作曲:西村華

 

Sunrise ~LOVE is ALL~

編曲:CMJK

Sunset ~LOVE is ALL~

編曲:中野雄太

 

太陽は昇っては沈み、沈んでは昇る。当たり前に繰り返す自然の営みのように、確かな愛で結ばれた二人が呼応する。それぞれの景色から同じメロディーで夏を染め上げる2曲だ。

アップテンポでポップなEDM調の『Sunrise』は「僕」から「君」へ、「もっと信じてみて」「もっと大きな声で」と、「もっと」「もっと」という呼びかけが強調されている。突き抜けていくような明るさに溢れているが、ただ、全てが上手くいっているわけではないらしい。「君」はさっきまで涙を流していたし、「僕」は「君」の言いたい事やまだ見ぬ一面に対して「向き合うつもりになっている だけで 逃げてるよね」と自覚している。それでも「僕」は「受けとめていける自信があるし」「全部覚悟できたから」と前向きで、日の出と共に明るく拓けてゆく視界のような高揚感の中、愛を叫び続ける。

一方、スローテンポでピアノがさざ波のように光るバラードの『Sunset』では、「もっと」だけでなく「そっと」というアプローチも加えられた、「私」から「あなた」への丁寧な想いが綴られる。「私」から見た「あなた」は「ちょっと無神経 てか不器用」であり、そこを好きだと言いながらも「乙女心」も気にかけてほしいと思っている。もしや『Sunrise』の初めで泣いていたのは、二人の間の行き違いが原因だったのだろうか……という想像も出来るかもしれない。「私」もまた踏み出すことへの怖さを抱え、「肝心なところで 話 そらすんだよね」と語るが、「あなた」に伝えたい愛があることは変わらないようだ。歌は夕日を見送りながら想いを語るような安寧さで満ちている。

二人とも、自分の至らないところはよく分かっているし、ためらいや戸惑いも正直に口にする。その上で、完璧ではない者同士、その完璧でないところもひっくるめて愛し合っていきたい、という同じ結論を出している。確かめ合うのは終わりにして、ただ大きな愛、強い愛を惜しみなく伝えよう。不器用なら、その不器用さごと伝えよう。愛は全てだ。そんなストレートな想いが共にある二人ならきっと大丈夫だ。

PVは両曲とも同じ場所で撮影されており、海辺に作られたステージに高く登ったあゆが歌う。『Sunrise』では晴れ空の下、お客さんも高いところから声援を送り、ダンサーの煽りに合わせてタオルを振り回す。『Sunset』ではお客さんは下に降り、しっとりと歌うあゆと共に穏やかな金色の光に照らされる。

 

歌詞リンク:

浜崎あゆみ Sunrise ~LOVE is ALL~ 歌詞 - 歌ネット

浜崎あゆみ Sunset ~LOVE is ALL~ 歌詞 - 歌ネット

再考:『Duty』(後編)

参照:3rdアルバム『Duty』(後編)

   17thシングル『SURREAL』

 

 

SURREAL

 

「背負う覚悟の分だけ可能性を手にしてる」と言い切り、同情心は「まるで役にも立たないね」と突き返す。「大事なモノ」に伴う痛みを自覚し、「感覚だけは閉ざしちゃいけない」と心に決める。それは裏を返せば、時に引き受けざるを得ない痛みも、自分にとっての大事なモノを実感させる証拠の一つということかもしれない。例えば直前の『絶望三部作』で綴られた深い悲しみも、それだけ大事なモノがあったと教えているのだろうか? あゆは想いを歌詞に綴る「感覚」を携え、歌い手としての「可能性」をこれからも広げていくことに決めた。そこに下手な同情は要らないのだ。

アルバム『Duty』とシングル『SURREAL』、どちらのジャケットも檻に閉じ込められた“ヒョウあゆ”だ。しかし『SURREAL』のPVの“ヒョウあゆ”は、ジャングルの奥に潜んでいる。当時のあゆにとっては、どちらが現実で、どちらが理想だったのか。現実とは思えない「どこにもない場所」で、「私は私のままで立ってるよ ねえ君は君のままでいてね」と、シンプルで切実な想いを叫ぶ。言いたくとも言えない「あの人」への想いを抱え、その場所に立ち続けることはどれほどの痛みを伴うだろう? しかしあゆは既に、「背負う覚悟」を決めているのである。

 

 

AUDIENCE

 

Duty』や『SURREAL』を聞くと、何やら悲愴な気持ちにならなくもないが、もちろんあゆは義務感だけで歌っているわけではない。聞き手を巻き込みながら手を叩いて高らかに歌い、「君達が僕の誇り」とはっきり示してくれる。「加速度ばかりが増してる」(『too late』)と目まぐるしい環境に戸惑ったり、『vogue』や『Duty』で移ろう時の無常さを見つめていたりするからこそ、「ウマイこと負けてみよう」という境地になり、先を歩くのでも後ろをついていくのでもない、「君達」と肩を並べたいという気持ちになるのかもしれない。

「皆で分かち合えるように作られている」という「幸せのトリック」の存在を教えてくれるが、あゆも一緒にそれを探してくれるはずだ。「両手を広げて一緒に手を叩いて歩く」という開放的なイメージ、「もうひとりぼっちじゃない」という歌詞の明るさには、このアルバムを聞いてきて初めてほっとする気持ちを抱く。

 

 

teddy bear

 

「~ました」という丁寧語で、物語のように綴られているのは『SCAR』と共通する。こちらの方がより静かで、シンプルな中に深い悲しみが滲み出るような味わいだ。

小さく頼りない背中をしていたという「あなた」と、私との間には何があったのか。「笑い合えていた」という良い思い出の次には、「人はどうして 同じような過ち あと何度繰り返したら~」と、普遍的な言い回しでぼかした表現が続く。そして「期待に弾む胸」「心待ちにして」と楽しみにする気持ちを詳しく描写した後で、翌朝テディーベアを見つけたところは淡々と見た景色を書くのみである。その言葉に現れないものこそが、聞き手に迫り胸を締め付けるのだ。

「昔」と言うくらいには、時間の経った過去なのだろう。それでもこうして思い出してしまうらしい。どんな経験から生まれた作品なのか、テディーベアという可愛らしいアイテムも、あゆの歌の中では哀切を演出するものとなる。

 

 

Key ~eternal tie ver.~

 

「他には何も出来なくて」が歌う理由になっているところが、いかにもあゆらしい。違う言い方をすれば、絵筆であれ、手紙であれ、まず初めに伝えたい想いが心の中にあるということだろう。この作品で、「あなた」への温かな愛を感じると共に、あゆが歌という表現の手段を得た僥倖を思わずにはいられない。「器用には伝えられないけれど」とあるが、それでもなお伝えようとするとき、あゆには歌がある。『AUDIENCE』のように「君達」に向けて高らかに歌うこともあれば、こうして「あなた」に「鍵をかけ」て贈ることもある。他の手段ではない、歌という伝え方。絶望を経て覚悟を決め、歌い手であり続ける中で、歌うことそのものを描いたあゆ作品が幾度となく登場する理由が、何となく分かるような気がする。

 

 

えー……大変久しぶりになってしまいました。8月に入ってから色々とバタバタしておりましたが、幸いにも体調を崩すようなことはなかったのでご安心下さい。

さて、「7月いっぱい」としていた「M 愛すべき人がいて」のタグですが、ずっと付けっぱなしになっております。というのも、前回「再考:『Duty』(前編)」を上げた際に、タグを付けるべき範囲の作品のうち、何故か元記事の『Duty』前編後編にだけタグが付いていないという大失態に気付いてしまったのです。なんてことでしょう……💦

その時点で7月も終わりかけていたので、再考の後編もあるし、『Duty』だけたった数日しか付けないのはあんまりだと思い、付け続けることにしました。

しかしその後編もかなり時間が経ってからの投稿になってしまいました。取り敢えず再考記事はこれで終了し、次にリリース順の続きから記事を上げるので、そのときまでタグを続行します。

何だかかなりグダグダですがこんな感じで……😊

再考:『Duty』(前編)

 

参照:3rdアルバム『Duty』(前編)

 

 

勢い良くスターへと上りつめる『LOVEppears』と、作曲も手掛けながら新たにハードロック路線を獲得していく『I am...』の間に、この『Duty』がある。『A Song for ××』からだんだんと状況や心境に変化はあったにせよ、自らの闇や絶望に向き合い、深く描き出していくあゆ作品の世界は、ここである一つの到達点を迎えたのかもしれない。シングルで「三部作」にするほどの絶望の闇を歌ったことが、多くの人々に支持されるという光をもたらし、しかしその光を浴びるが故にまた闇が深まる……。何とも皮肉なループだ。しかしあゆは歌い手であることを辞めず、自分の言葉で歌い続けた。絶望も、その先にある希望も。

 

 

Duty

 

絶望三部作」の一続きのPVでは、荒廃した世界にあゆの歌う姿を収めたアルバムが残され、そこに喪服姿のあゆが登場する。自らを葬るイメージは、いずれ自分も終わって行く一つの「時代」に過ぎないと歌うこの『Duty』とも重なる。知りたくないけれど本当は知っている、いずれやって来る「自分の番」。その重々しい宿命が鳴り響く。

ただ、誰もが欲しがっていてしかも既に手にしているという「それ」は、価値あるものとも捉えられる。「僕」が「君なら見つけてくれるだろう」と懸けてまで期待しているところからも、そうするだけのものなのだと感じられるのではないか。「僕」が自分の番を引き受ける「義務」を果たした時、「それ」が明らかになるのなら、厳しい世の定めにも希望はあるのかもしれない。

 

 

End of the World

 

「自分よりも幸せなヒト」「惨めな姿」と、卑屈とすら思える言葉の数々や、「ひとりとして 傷も付けずに 生きてくなんて 出来るわけもない」と悲しみを滲ませる描写。誰よりも眩しい光の中にいる人が、その陰にある闇の色濃さから目を逸らさず歌う覚悟には圧倒されるしかない。「私は何を想えばいい 私は何て言ったらいい」と、迷いすらも叫ぶように曝け出す。『too late』には「この道の先がもし 世界の果てでも」という歌詞があるが、『Duty』を制作する頃にはもう果てが見えてしまったのだろうか。明日に何かを願うことのできる「君」が、「私」を解ってくれることで、いずれ「私」に見える世界も変わっていくことを期待してしまう。

 

 

SCAR

 

眠りかけの「僕」に“ごめんね”とつぶやく「君」と、初めて叱られた日にうつむくだけだった「僕」。何となく、不器用な二人である印象を受ける。「さよならさえ上手に 伝えられなかった」ことも、その理由までもはっきりしないことも、その不器用さが招いたことだろうか。今となっては、心に作った同じ傷を感じながら、世の中で繰り返される出会いと別れに思いを馳せるしかない。

「~ました」「~でした」という語尾の丁寧さが一つ一つの思い出を彩り、物語の雰囲気を演出する。曲の最初の方に聞こえるくぐもったセリフのような音声も、悲恋を描いた映画を思わせるようで、楽曲の世界を形作るのに一役買っている。

再考:『A Song for ××』(後編)

参照:1stアルバム『A Song for ××』(後編)

 

 

As if...

 

道ならぬ恋の雰囲気を漂わせながらも、あまりドロドロしたものは感じさせず、あくまでピュアな雰囲気でアルバムに溶け込んでいる1曲。

なにか事情のある二人にとって、「これから先の事」は重くのしかかってしまう。「私」は「いつわりの日々」を「それで一緒にいられるのなら 仕方ないね」と受け止めるしかなく、だからこそその一緒にいられる「今」を大切にしているのだろう。しかし普通の恋人らしさでさえままならない関係に、やはり不安は募る。会わなくなる事まで「あなた」が「仕方のない事」と言うのでは、とたずねたくなるのだ。会わなくなる事それ以上に、「あなた」がそれを受け入れることが辛いのではないだろうか。

「いつの日か いつの日か きっと 一緒にいられるよね…」という途切れそうな願いが、切実なのは言うまでもない。先の事を考えるなら、少なくとも二人の目指すところが同じでないといけないだろう。

 

 

POWDER SNOW

 

ネガティヴで哀しげな言葉が並ぶ中で、注目すべきは「後悔などひとつもしてないの」という、妙に清々しい一文だ。「今を生きてきた」結果、主人公は「誰も私を知らぬ場所へ逃げたいの」「心がもうもたない 明日はいらないの」「ろうそくが溶けてこの灯り消えたら」と、存在を消しかねないほどの境地に立っている。燃え尽きた、という言葉がふさわしいだろう。それも恐らく、主人公があまり望んではいなかった形で。

選んだ道を悔やむのではなく、もう一度やり直そうというのでもない。ただ「涙枯れてしまう位」に泣きたい。積もることのない粉雪は冷たいけれど、何も言わずにその純白で流してくれる。風音を響かせながらフェードアウトしてゆくアウトロが、厳しい孤独を表すかのようだ。

 

 

SIGNAL

 

「思い出なんて いつも都合のいい様に蘇るじゃない」という歌詞はきっと、「過去はきっと現在(いま)とは比べものにならない」という歌詞からつながっている。過ぎてしまって変えられない、だから美化もできる過去。一方、未来とは見えるはずのないもの。だから現在に選べるのは「現在」のみであり、未来が現在に「勝てるわけがない」のだろう。

「新しいドア開けて知らない場所へ出て しまっても私は私だと言い切るから」の言葉通り、あゆは個性を確立しながらも「好きなモノは残さず食べ尽くす」ように、様々な挑戦を続けてきた。だからこの1stアルバムと、後に出した作品とでは印象も違う。その都度、信号が青になったと思ったら迷わなかったのだろう。結果、「どんな場所でも生き抜いて」きた。「私には時間がない」と現在を駆け抜ける疾走感。そんなあゆの生き様は、言うまでもなく初めからある。

 

 

from your letter

 

この歌詞が誰かからもらった手紙が元になっているのだとして、どこまでその文面を再現したものかは分からないが、そこにあった温もりはこの作品と同じものなのだろう。

「いろんな障害」を越え、「いくつもの恋を乗り継」いだからこそ、その道のりの先で出会った「君」に対する想いが溢れる。想いが強ければ、いなくなったら……ということもよぎってしまうけれど、「それでも僕は信じてみる事に決めたよ」と素直に綴る。そんな手紙の内容だけで、受け取った側の心情まで推し量れてしまう歌だ。

 

 

Present

 

初めから歌手を目指していたわけではなく、歌詞も人に勧められて書き始めたあゆ。こうして初期から現在に至るまで、周りのあらゆる人に感謝する楽曲をたくさん作り、何度も何度も歌い続けている。実際に、自ら書いて歌った言葉がたくさんの人に届いたとき、導かれたことへの喜びはどれほどだったのだろう。

たくさんの人が支えてくれることがもらったプレゼントであり、それに感謝する心は相手に贈るプレゼント。そして我々聞き手にとっても、あゆの歌はプレゼントである。

 

 

※「M 愛すべき人がいて」のタグは、7月いっぱい続ける予定です。

再考:『A Song for ××』(前編)

参照:1stアルバム『A Song for ××』(前編)

 

モノクロのジャケットに映ったあゆは、覗き込むような瞳でこちらを見ている。あゆの力強い眼差しを強調したジャケットはいくつもあるが、この時は力強さよりも、飾らない想いを伝えたいというひたむきさを感じる。それはそのまま、このアルバムに収められた作品を表すかのようだ。後から顕著になるテーマや言葉遣い、歌い回しにはこの時点では想像も出来ないものもあるが、あゆ作品の核に存在し続ける生々しい感性は確かにここにある。

 

 

A Song for ××

 

デビュー曲『poker face』で描かれたのが、歌手として伝えてゆきたいものの最初の一歩であったのなら、この楽曲はあゆを歌い手たらしめる感性の原点が表れているのかもしれない。聞き手が覗い知れることはわずかだが、恐らくこの作品には、それまでの人生でどんな心を抱えて生きてきたのかが描かれているのだろう。

「どうして笑ってるの」「いつまで待っていれば 解り合える日が来る」という問い掛けには、目の前にいる人にたずね、気持ちを量っているような印象がある。一方で「いつから大人になる いつまで子供でいいの」「どこから走ってきて ねえどこまで走るの」という質問は、より人間の本質に関わるものだ。一体、これらに即座に答えられる人がどのくらいいるだろう?

「色んなこと知り過ぎてた」という、精神的には早熟な主人公は、「強い子だね」「泣かないで偉いね」という望みもしない褒め言葉に「解らないフリ」をしながら、人知れず「笑うことさえ苦痛になっ」てゆく。しかし「一人きり」という孤独感は「思ってた」と過去形で語られている。一人きりではなくなるような、誰かに出会ったのだろうか。その誰かは、この歌にある数々の問い掛けに何と答えるのだろうか。

 

 

Hana

 

「大人になっていくことと 無邪気な子供でいるのは どっちが辛いことですか」。ここでも『A Song for ××』のように、大人と子供の対比が描かれる。言うまでもなく、花は成長しているからこそ咲くものだ。疾走感のある曲に合わせて語られる、「まっすぐ伸びて行く」花の、美しさや誇らしさ。それは主人公の「一人くらい探そうとしてくれたりしますか」「一人くらい聞く耳持ってくれたりしますか」という頼りなさを一層強調するかのようだ。成長を経て、過去にも未来にも迷わずに“今”咲く花を目の前にすれば、「そんな質問はやめましょう」となってしまう。

全体が丁寧語で綴られた歌詞に、世間と自分とに距離を感じる遠慮のようなものが滲んでいるようにも思える。1stにしてヒットを飛ばしたアルバムの中に「誰かに届きますか」という問いがあることは、とても感慨深い。

 

 

FRIEND

 

FRIEND』で「離れてても胸の奥で友達だよ」とゆったり歌っていたのとは対照的に、この歌では「君の気持ちも知らずにごめんね」と、間に合うかどうかも分からないまま駆け出してゆく。「Ⅱ」とタイトルにあるが、同じ相手のことなのだろうか。

「今頃やっと気付いた」「悔やみ出すときりがなくて」という歌詞に後悔が滲んでいる。「何でも解っている」つもりだった主人公は、「君」が出す「私へのSOS」を見落としてしまっていた。「君」から優しくされ、大切にされていたにも関わらず。ギヴアンドテイクなどという単純な話ではなく、助けてもらえるありがたさにばかり寄りかかっていては関係は成り立たない。だが、もう手遅れだと決まったわけでもない。少なくとも今の「私」は誠意を尽くそうとしている。ひどい裏切りや行き違いがないのなら、「最高の仲になっていたい」「深い絆が出来ると祈って」という想いは叶うと、聞き手は信じよう。

 

 

Wishing

 

「私」と「君」は、「同じ環境で似た様な経験積んで来ている」という。「あの頃まだ失うモノの方が多かった」「今度は私が守るからね」「ホントは君も強くはないし 一人じゃいられない事も知った」と、互いの痛みを支え合うような描写もある。「私」の温かい心が歌われているのにどことなく切ないのは、メロディーの悲しさのせいだけではないだろう。

一文一文、「君」にそっとやわらかく語りかけるような歌詞を経て、「君が大好きなあの人と 幸せになれますように…」という結びに辿り着くと、それが「私」にとってどれほど深い願いなのかが分かる。ふたりが想い合う気持ちの強さも。「君」もきっと同じように「私」の幸せを願うのではないか、と想像せずにはいられない。

 

 

※元記事「1stアルバム『A Song for ××』(前編)」を少しだけ修正しました。

再考:『Depend on you』

参照:5thシングル『Depend on you』

 

Depend on you

 

「目指してたゴールに届きそうな時 本当はまだ遠いこと気付いたの?」「ずっと飛び続けて 疲れたなら」描かれている現実はなかなか厳しい。心の逸る曲調でも、勢いに任せて自由に羽ばたくのではなく、これからが辛いところだと言うかのような歌詞だ。デビューから間を置かずに5枚のシングルを出したあゆは、どんな景色の中、どんな目標を掲げていたのだろうか。「不安と希望に満ちて」いたのだろうか。

全てを楽観視できるわけではないからこそ、「私はここにいるよ」という言葉の温かさにほっとする。「そこからふたりで始めよう」と言う「私」の姿は、そのまま、「あなた」が「全てを捨ててもいい程」の覚悟で旅立つ力になるだろう。

PVでは、薄暗い景色の中であゆが歌っている。寄る辺ないイメージだが、夜明けに向かって一人立つ姿は決意の固さを印象付ける。

 

 

Two of us

 

「色あせたソファー」「ふたりでみた映画」など、アイテムの具体性がそのままふたりの関係を表し、「受話器の向こうの女(ひと)はきれいな声をしてた」という事実の描写が、主人公の心情を雄弁に語る。静かな小説を読んでいるかのようだ。デビューから1年のうちに、「愛されていたくて 愛してたワケじゃない」「もうどこにも 期待なんかは出来ない」と、ある種達観したような歌詞を世に出す、その表現力に驚かされる。

あゆ作品に描かれた恋にも様々な形がある。もっと抽象的で行間が広いものも、未練を激しく露わにしたものも。経験を経て、扱える感情の数は増えたのかもしれない。この貴重な初期作品は、どんな恋愛を元に描かれたものだったのだろうか。

アカペラ公開に思うこと

あゆりあです。こんにちは。

 

 

ご存知の方も多いと思いますが、あゆ作品のアカペラ音源を公開し、自由なアレンジを募集する「ayuクリエイターチャレンジ」が行われています。

 

私はまず、「声だけ」となったあゆ作品を楽しんでいますよ。

 

言うまでもなく、一つの作品は様々な要素で出来ており、ムダなものはありません。いつもは、あゆが自らの言葉を歌う声のみならず、それぞれの楽器の音やリズムの刻み方、アレンジャーさんの神懸かり的な味付けまで、耳を傾けています。

 

一方で、今回ヴォーカルとコーラスのみを聞く機会が与えられたことは、とても貴重であると感じます。『Voyage』や『forgiveness』のコーラスワークの華やかさと重厚感にうっとりして、『Bold & Delicious』や『Born To Be...』の迫力には圧倒され、逆に『teddy bear』や『JEWEL』では楽曲のシンプルさを再確認して……。どこでエコーをかけているのか、どこでエフェクトを入れているのか、などなど、分かりやすくなったことで再発見できたこともたくさんあります。

 

何より、1曲1曲の歌詞を表現するあゆの歌声の生々しさが、突き刺さるように伝わってくる。

 

これはたくさんの方々のクリエイティヴィティを刺激するに違いありません🎶

 

未曽有の出来事の中、ツアーのキャンセルという悲しみもありましたが、多くのコンテンツが用意されています。「声だけ」のあゆ作品を楽しみ、そして出来れば是非、アレンジを投稿してみましょう💞

 

なお、私がアレンジに挑戦するかどうかは……秘密です🤫💝