黙ってayuを聞け

浜崎あゆみさんの歌 とりわけ歌詞の魅力を語るブログ

再考:『LOVEppears』(前編)

参照:2ndアルバム『LOVEppears』(前編)、及び各シングル(リンクはタイトルから)

 

 

話題になった「白あゆ」「黒あゆ」は、いずれも長い髪を胸元に流し肌を晒すインパクトの強いジャケットだが、このアルバムのコンセプトは「目に見えるものと真実のギャップ」である。曝け出しているのか、そうと見せかけて何かを隠しているのか。我々はただ、あゆの綴った言葉を読み込んでいく外はない。

 

 

Fly high

タイトルや楽曲の高揚感とは裏腹に、飛び立つどころか躊躇してきた過去を振り返っている。「離れられずにいたよ ずっと」というサビもそうだし、「どこかの誰かのこと ふり返ってながめてはうらやんだり」という描写には聞き手にも思い当たる節があるのではないか。「踏み出せずにいる一歩」が「長く長い道」に相当するほど、そのツケは大きかったようだ。けれど「君に出会えたから」何かが変わり、「全てはきっとこの手にある」という確信へと繋がって行く。「飛ぶ」や「翼」のような言葉が歌詞本編に出てこないのに、主人公はタイトル通り高く飛べたのだろうと思い浮かぶから不思議である。

 

 

Trauma

残酷な時間を重ねて今がある。だから「やがて訪れる恐怖」の存在は分かっているけれど、それでも人を求めてしまう。人の悩みは大概が人間関係についてである、と言われるが、この歌で歌われる「傷」もやはり、人と人との心の間で生まれたものだろうか。傷付いてなお誰かを必要とし続けるのは、なるほど「狂気」と呼べるかもしれない。けれど「正気」も「狂気」も「どちらも否定せずに」と主人公の「私」は言う。相反する自分自身を受けとめ、簡単に癒されはしない「傷」を「あの人」に見せたいのだと気付く。苦しみを伴いながらもトラウマと向き合う「私」の姿勢は、愚直そのものだ。

 

 

And Then

淡々とシビアな空気が作品を貫く。「悲しみも苦しみも何もかも分け合えばいいんじゃないなんて カンタンに言うけどねそんなこと出来るならやってる」というもどかしさは、前曲で深い傷でさえ「あの人に見せたい」と言っていたのとは対照的な心情である。この歌は「ふたり」について語られているが、関係性の固まっていないような印象だ。「いつか完全な ものとなるために なんて言いながら」という結論を出さない言い方や、「分け合うことは簡単ではない」という実感から察するに、ふたりはまだまだこれからなのだろうか。「この街を出て」それから始まるのかもしれない。

 

 

immature

この歌は、どうしてこうも切実に響くのだろうか。「そんなにも多くのことなど 望んだりはしていないよ」「もう何も見たくなかったんだ」「守られなかった約束にいちいち 傷ついてみたりしてたんだ」……脆く繊細な心を抱えた「僕ら」の姿が思い浮かぶ。「幸せになりたい」と言わず、「幸せになるために 生まれてきたんだって 思う日があってもいいんだよね」と控えめに過ぎる願いが痛みを伴って突き刺さる。けれど「目の前の悲劇にさえ対応できずに 遠くの悲劇になど 手が届くはずもなく」という歌詞は、裏を返せば、様々な悲劇が起きる世界を前に、何かできないかと考えているようにも見える。主人公は傷ついたまま無力に打ちひしがれているわけではない。だから最後のフレーズが、メジャーに変わるメロディーと共に光をもたらすのだ。

 

 

Boys & Girls

TO BE』、『Boys & Girls』、『A』、そしてこの『LOVEppears』は、歌詞カードのアートワークが一本の糸で繋がるような演出がなされている。何らかの意図があるのか、ちょっとした遊びなのか。この4枚は、加速度をつけてあゆを頂点に押し上げた。いずれも代表曲となった『TO BE』や『Boys & Girls』にはまだあの「A」のロゴマークがあしらわれていないなんて、今やどれくらいの人が知っているだろうか?

「“シアワセになりたい”」と言った回数は数知れず、「一体どこへ向かうの」という問いへの答えは「持ち合わせてない」。「少し戸惑ってた」こともある。それでも「この夏こそはと 交わした約束」を胸に、誰にも止められない勢いで輝き出す。唸るようなギターが支えるシンセサウンド、特にサビの前の4拍のカウントが興奮を煽る。聞き手の熱を高めるこの作品は、あゆ自身をも鼓舞したのだろう。PVで様々な光をまとうあゆも、「輝きだした」という表現に相応しい。

 

 

TO BE

あゆの初期作品において、自分が姿を消したら探してくれる人はいるだろうかと考えてしまう『Hana』や、「詞でも書いたかのような気になって」と自嘲気味の『And Then』のように、自分の価値に確信を持てない描写は、孤独感と相まって切ない痛々しさを響かせる。

TO BE』での「ガラクタ」という物言いも、恐らくはあゆ自身に向けられていて、だからこそ「宝物」だと言って抱え続けてくれた「君」に、「君がいなきゃ何もなかった」という感情を湧き起こすのだろう。「君」に自分の存在そのものを支えられ、「決してキレイな人間(マル)にはなれないけれどね いびつに輝くよ」と自分なりのスタンスを見つける。ピアノとギターを感傷的に奏でながらも優しい光のように満ちてゆくこのバラードが、代表作の一つになったのは必然の流れだ。

もちろん、聞き手は自分にとっての「君」を思い浮かべていい。それが「あゆ」であってもいい。

 

 

 

 

元記事の『LOVEppears』と、『appears』の記事に、『LOVEppears / appears -20th Anniversary Edition-』について書き加えました。

 

再考記事ではアルバムの全ての曲を再考する訳ではありません。逆に、アルバム未収録の楽曲でもまとめて再考することもあります。

自分にとって、最初の記事で書き足りない部分があったかどうかで再考を判断しています。

「書き足りない」というのは内容であって、必ずしも分量ではありません。最初に再考した『絶望三部作』は、元の記事もそれほど短い訳ではないのですが、もう少し書きたいことがあったので記事にしました。