黙ってayuを聞け

浜崎あゆみさんの歌 とりわけ歌詞の魅力を語るブログ

再考:『Duty』(前編)

 

参照:3rdアルバム『Duty』(前編)

 

 

勢い良くスターへと上りつめる『LOVEppears』と、作曲も手掛けながら新たにハードロック路線を獲得していく『I am...』の間に、この『Duty』がある。『A Song for ××』からだんだんと状況や心境に変化はあったにせよ、自らの闇や絶望に向き合い、深く描き出していくあゆ作品の世界は、ここである一つの到達点を迎えたのかもしれない。シングルで「三部作」にするほどの絶望の闇を歌ったことが、多くの人々に支持されるという光をもたらし、しかしその光を浴びるが故にまた闇が深まる……。何とも皮肉なループだ。しかしあゆは歌い手であることを辞めず、自分の言葉で歌い続けた。絶望も、その先にある希望も。

 

 

Duty

 

絶望三部作」の一続きのPVでは、荒廃した世界にあゆの歌う姿を収めたアルバムが残され、そこに喪服姿のあゆが登場する。自らを葬るイメージは、いずれ自分も終わって行く一つの「時代」に過ぎないと歌うこの『Duty』とも重なる。知りたくないけれど本当は知っている、いずれやって来る「自分の番」。その重々しい宿命が鳴り響く。

ただ、誰もが欲しがっていてしかも既に手にしているという「それ」は、価値あるものとも捉えられる。「僕」が「君なら見つけてくれるだろう」と懸けてまで期待しているところからも、そうするだけのものなのだと感じられるのではないか。「僕」が自分の番を引き受ける「義務」を果たした時、「それ」が明らかになるのなら、厳しい世の定めにも希望はあるのかもしれない。

 

 

End of the World

 

「自分よりも幸せなヒト」「惨めな姿」と、卑屈とすら思える言葉の数々や、「ひとりとして 傷も付けずに 生きてくなんて 出来るわけもない」と悲しみを滲ませる描写。誰よりも眩しい光の中にいる人が、その陰にある闇の色濃さから目を逸らさず歌う覚悟には圧倒されるしかない。「私は何を想えばいい 私は何て言ったらいい」と、迷いすらも叫ぶように曝け出す。『too late』には「この道の先がもし 世界の果てでも」という歌詞があるが、『Duty』を制作する頃にはもう果てが見えてしまったのだろうか。明日に何かを願うことのできる「君」が、「私」を解ってくれることで、いずれ「私」に見える世界も変わっていくことを期待してしまう。

 

 

SCAR

 

眠りかけの「僕」に“ごめんね”とつぶやく「君」と、初めて叱られた日にうつむくだけだった「僕」。何となく、不器用な二人である印象を受ける。「さよならさえ上手に 伝えられなかった」ことも、その理由までもはっきりしないことも、その不器用さが招いたことだろうか。今となっては、心に作った同じ傷を感じながら、世の中で繰り返される出会いと別れに思いを馳せるしかない。

「~ました」「~でした」という語尾の丁寧さが一つ一つの思い出を彩り、物語の雰囲気を演出する。曲の最初の方に聞こえるくぐもったセリフのような音声も、悲恋を描いた映画を思わせるようで、楽曲の世界を形作るのに一役買っている。