黙ってayuを聞け

浜崎あゆみさんの歌 とりわけ歌詞の魅力を語るブログ

11thアルバム『Rock’n’Roll Circus』(中編)

〔『Rock’n’Roll Circus』の記事 【前編】 【中編】 【後編】

 

Last Links

作曲:湯汲哲也

編曲:CMJK

 

作曲者と編曲者が共通している『count down』とは、似ているようで違う曲。こちらはもう少しテンポが速く、からりとしたギターの音が特徴で、歌詞も比較的上向きである。

この作品で注目すべきは「蒼い地球(ほし)」という言葉だ。これがあることで、同じく歌詞に登場する「世界」が意味するところがぐっと感慨深くなる。これまでのあゆ作品で「世界」と出てくるときは、例えば自分の周りを取り巻く環境だとか、世間の風潮など、そういうものを指す意味合いの方が強く感じられた。だがこの作品では「地球」というスケールで「世界」は描かれており、「世界」にある「全ての悲しみ」「全ての怒り」に目を向けている。例えば環境問題や、戦争・紛争など、地球規模の問題の解決に取り組んでいる人々のような姿勢を、主人公もまた持っているのかもしれない。

目覚めに見た柔らかく強い光。何かを感じて涙を流す主人公は、空を見て「うまく歩いていける」という気持ちが湧く。一方、時に立ち止まることも否定しない。「進むべきではないという合図なんだろう」と受け止める。そんなとき、空は「高く遠すぎる」ものとなるのだ。自分と世界との間に確かなつながりを見出していることが、「世界」にある「全ての悲しみ」「全ての怒り」へと目を向かわせるのだろう。『immature』には「目の前の悲劇にさえ対応できずに 遠くの悲劇になど 手が届くはずもなく」という歌詞があったが、この歌では明らかに「遠くの悲劇」を意識している。全てが解決するわけではなくても、それでも考えずにはいられないのだ、と。歌は「愛は確かにここに残ってる」と締めくくられるが、そう信じる主人公自身こそ、その「愛」のありかの一つなのではないか。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ Last Links 歌詞 - 歌ネット

 

 

montage

作曲・編曲:中野雄太

 

インストゥルメンタル。オルガンとストリングスが織り成すクラシカルな旋律は、荘厳さとスリリングさを持って聞き手を威圧する。堂々たる雰囲気がありながら、どこか退廃的でもある。

 

 

Don’t look back

作曲:中野雄太

編曲:CMJK

 

揺らめく蜃気楼のように妖しい魅力を放つ、アラビアンテイストの楽曲。これまでにも『vogue』『ourselves』『INSPIRE』といった似たようなテイストのものはあったが、今作はシタールやタブラの音が強調され、一層エキゾチックな印象だ。囁くように繰り返す「Don't look back」が呪文めいて響く。

「戻れない戻らない 帰る場所はもうない」という歌詞は、哀しみの影をはらんでいる。「綺麗な足跡に 塗り替えたところで 自分の心だけは 騙せない」「カッコ悪い 所こそが愛おしい」と語っているのを見るに、それは潔い割り切りや希望に満ちた前進と言うよりも、後悔や未練は多々あるけれど、もうやり直せないから受け止めて進むしかない……という痛みを伴う覚悟ではないか。「迷っているって事はもう 迷ってない」というのは、『Beautiful Day』の「選びたいその答えを 選ぶのに躊躇しているだけ」という歌詞にも通じる。未来は結局未来にならないと分からない。後のことを気にして「留まる」よりは「胸を焦がす刺激」の方を求め、実際に後になって悔やんだとしたら、それはそれとして受け止めるしかない。

「誰もが思い出すのは 一番輝いてた頃の自分なんて それは悲しすぎるわ」「どんな風に幕を下ろす?」という歌詞は、美しく花開いたら散るだけだと歌っていた『vogue』のような作品にはなかった心境が覗える。選んだ道で思うようにいかないことがあれば、あの頃は良かったと思ってしまうし、スターの地位にある人は「変わってしまった」とか「昔の方が良かった」と言われがちだ。しかし主人公は美しい時に散ろうとか、まして過去にばかり価値があるとは考えず、まだ前に進もうとしている。『Microphone』の「もう迷ったりしない 後悔なんてない」という力強さとは字面こそ全く違うけれど、この歌もまた「自分があってこその変化」を繰り返してきたあゆの姿なのだろう。

PVでは、静まり返った部屋であゆが物悲しそうに席に着いている。しばらくは、何故か左側の横顔しか映らないが、やがてカメラが正面に回った時にその理由が明らかになる。合間には、めちゃくちゃに汚された『A BEST 2』のジャケット写真の前で、次々と表情を変えるあゆも映される。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ Don't look back 歌詞 - 歌ネット

 

 

Jump!

作曲・編曲:CMJK

 

インストゥルメンタル。デジタリックな曲で、鼓動が速くなるかのようにリズムを刻む。あゆのヴォーカルに合わせて掛け声が入り、聴衆を煽る。

 

 

Lady Dynamite

作曲:原一博

編曲:CMJK

 

ひずんだ音を炸裂させるエレクトロニック・ロック。ダンサブルなリズムが小気味よく、歌詞の強烈さとも相まって鮮やかな印象を残す。

歌われるのは、見栄っ張りな男性達に愛想を尽かした女性達の心境だ。尾ひれどころか背びれもついて「もはや原型とどめてない」武勇伝を得意気に披露する男性。女性がおとなしく聞き入り、褒めておだてて自分の支配欲を満たしてくれると、当然のように期待している。「アタシ達」はそんな男性達の話を一応聞いてあげてはいたのだが、ダイナマイトが爆発するように、我慢の限界が来たようだ。「上目使いも疲れたし」「相づちをうつ声もツートーン 下がってきたわ」という言い回しが面白い。

そして目を引くのは「ママに言ってね 坊や達♥」というサビの締めくくり。「坊や達」という言葉のこの上ない鋭さに、ハートマークの痛快さが効いている。頷きながら何でも聞いてくれて、全て肯定的に受けとめすごいすごいと褒めてくれる、そんな「ママ」のような役割を、「ママ」でもない女性にまで当たり前に求めるのは、なるほど「坊や」もいいところである。

「悪いけど黙っててくれる?」「悪いけど道あけてくれる?」と言われれば、口を挟む隙などない。「アタシ達」にだって語りたい意思があり、聞くばかりが仕事じゃない。行きたい場所には自分で行くから、例え同じ行き先でもわざわざ連れ立ったりしない。そう突き付けられた男性達は一体どんな顔をするのだろう? 是非とも自分の中の女性観と虚栄心を改めてほしいものである。

PVでは、ドラァグクイーンやボンデージ姿の男性達が集まる中、なぜかあゆが乗り込み踊り狂う。ミラーボールのように銀色に輝く衣装や、ロリポップを舐めるカラフルなシーンなど、楽曲に負けず劣らずギラギラとした世界観を楽しめる。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ Lady Dynamite 歌詞 - 歌ネット

11thアルバム『Rock’n’Roll Circus』(前編)

アルバム曲をロンドンで録音したという今作は、「ロックンロール」や「サーカス」という楽しげな単語とは裏腹に、沈み込むような重さが目立つ。その重さは『GUILTY』にも近いものがあるが、『GUILTY』が曲順に従って明確に雰囲気が明るくなっていったのに比べると、こちらは楽曲の個性がもう少しばらけて配置されている。その展開の振れ幅は「サーカス」と言うのにふさわしい。賑やかな都市である一方、霧や曇天のイメージもあるロンドンという地の空気もアルバムに染み込んでいるのだろうか。光も影もある、それがあゆのサーカスであり、ロックンロールだ。

CDのみ盤、DVD付属盤、限定盤の「SPECIAL LIMITED BOX SET」の3形態でリリース。DVDにはシングルとアルバム曲合わせて8曲分のPVと、その全てのメイキング、そしてライブ「ayumi hamasaki ARENA TOUR 2009 A 〜NEXT LEVEL〜」のダイジェストを収録。限定盤はDVD付属盤と、紅茶、マグカップ、ライブDVD「ayumi hamasaki ARENA TOUR 2009 A 〜NEXT LEVEL〜」をセットにした内容である。DVD付属盤と限定盤の初回特典にはフォトブックが付き、更に12枚限定で直筆の歌詞原本がランダム封入された。

歌詞カードとフォトブックはロンドンで撮影されており、ロッカーかつサーカスの団長と呼ぶべき、ハードでカッコいい衣装の数々を着こなしたあゆが登場する。ジャケットは、CDのみ盤はバストアップ、DVD付属盤は顔のアップ。

 

 

〔『Rock’n’Roll Circus』の記事 【前編】 【中編】 後編】〕 

 

 

THE introduction

作曲・編曲:CMJK

 

電子音で構成されたインストゥルメンタル。潜んでいた何者かが満を持して登場するような、ゾクゾクする期待感を煽り、サーカスの幕開けを告げる。

 

Microphone

作曲・編曲:中野雄太

 

重量感を持ったギターに、荘厳なオルガンと鋭いストリングスが織り交ぜられたシンフォニック・ロック。楽曲のハードなサウンドと劇的な展開はもちろん、綴られた歌詞が激しく聞き手の心を揺さぶる。

この歌の「あなた」とは誰か?歌詞の中のヒントをきちんと拾えば、PVメイキング映像でのあゆの発言を確かめるまでもなく、「音楽」であることが分かる。1曲を通す大胆なレトリックだ。

「変化はとても素敵な事だけど 自分を失くすって意味じゃない」。確かに、デビュー曲や1stアルバム『A Song for ××』を聴くと、この歌や『Rock’n’Roll Circus』を生み出したのと同一人物とはにわかには信じがたい。だがその間にあった挑戦と積み重ねを知っていれば、あゆがその都度変化し、しかしどの瞬間もあゆであったことに疑う余地はないのである。

「あたし」は「あなた」との出会いを、「運命」であり「必然」だったと語る。「憎たらしい日もある」けれど「結局どんな時も一番側に居て欲しい」相手であり、「あたしである意味を教えてくれる」「あなたなしのあたしは あたしじゃない」とまで言い切る。あゆは元々歌手を目指していたわけではなかったが、そこから「音楽」にこんな確信を持つに至った道程に感じ入らずにはいられない。「tell me why」(どうしてなのか教えて)「I don’t know」(分からないの)という問いへの答えは、「I won’t tell u why」(教えるつもりなんかないよ)。理由など分かるはずがない、それがまさに運命の出会いなのだろう。

極めつきは「もし完璧なメロディーがあるなら あたしはまだ出会いたくない」。あゆは歌詞の中で、言葉は難しいけれどそれでも伝えたいという姿勢を幾度となく見せてきたが、音楽においてもまだ高みを目指したい、満足して終わらせたくないと宣言しているのだ。歌い手としてマイクに向かう覚悟の前には、聞き手も「敬服するしかない」。

PVでは大きな絵のある厳かな場所で、黒い豪奢なドレスのあゆがバンドと共にパフォーマンスをする。合間には、自分を解放し狂気を見せるかのような人々が登場する。画面を破ったりスクロールしたりするような演出が面白い。『Sexy little things』のPVと繋がっている。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ Microphone 歌詞 - 歌ネット

 

 

count down

作曲:湯汲哲也

編曲:CMJK

 

ずんと重く、硬質でどこかひんやりとした音を響かせるグランジ・ロックのバラード。全体的には虚しさや寂しさが漂い、AメロやBメロではピアノが心細い様子で響く。音量が上がるサビでさえ引きずるような雰囲気である。

冒頭、「桃源郷」という言葉が目を引く。桃源郷とは、求めても辿り着けない楽園のような世界を指すが、この歌の主人公が行き着いたそこは、「強くてとても冷たい風」が吹いていたという。そして「私/あたし」がその風に目覚めさせられるような思いをすると、消えてしまった。2番では、「奈落の底」という一見正反対の言葉が出てくるが、やっとのことで見つけたかに思えた理想の真の姿とは、そんなのものなのだろうか。あるいは、理想だけでできた楽園などどこにもない、という逆説かもしれない。「私/あたし」はその状況に、絶望さえ通り過ぎて「無になってしまっ」ている。「終わりが始まる」ことを告げるカウントダウンが遠くから聞こえ、「後は上がるだけだ」と迷いなく言い切る「あなた」には、「最期まで見届けるふりして」と望む。「左側」という単語も意味深だ。噛み締めるように歌うヴォーカルが胸を掴んで離さない。

かつて『POWDER SNOW』では、後悔なく生きた結果「逃げたいの」「明日はいらないの」という燃え尽きた心境だった。この歌では、やはり明るい希望の気配はないが、「真っ直ぐに受けとめていくわ」「他には何にもいらないわ」と、まだ軸を持って立っているような印象がある。あゆは『SURREAL』で「どこにもない場所」に立ち、『Mirrorcle World』で「始まりなのかって? 終焉なのかって?」と問いかけ、『Rollin’』で急速に終わりに向かう世界を描いたが、楽園など存在しない現実世界を受け止めながら、聞こえる終わりに良いも悪いもなく自ら向かい、人生を果たそうとしているのかもしれない。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ count down 歌詞 - 歌ネット

 

 

Sunset ~LOVE is ALL~

46thシングル。当該記事を参照。

DVDにはPVのメイキングが初収録されている。

 

 

BALLAD

47thシングル。当該記事を参照。

 

 

 

 

浜崎あゆみさん、お誕生日おめでとうございます🎊

災難に見舞われ、世界が変わってしまったかのような毎日ですが、そんな中でも嬉しい話題が多々あることに感謝しています。

 

そして当ブログは、昨日で開設から3年目に入りました!

おうち時間が増えたのに投稿は滞りがちですが💧💧💧、書き続けることに変わりはないので、これからもどうぞよろしくお願いします。

 

※『Together When...』の記事をわずかに修正しました。

47thシングル『You were.../BALLAD』、『BALLAD/You were...』

両A面シングル。『You were.../BALLAD』『BALLAD/You were...』それぞれのDVD付属盤と、『You were.../BALLAD』のCDのみの3形態。CDは曲順と収録されたリミックスに違いがある。DVDには両曲のPVと、『You were.../BALLAD』には『You were...』、『BALLAD/You were...』には『BALLAD』のメイキング映像を収録。ジャケットは白一面の中に白をまとって仰向けになるあゆで、それぞれ少しずつ角度が違う。初回盤にはやはりそれぞれ違うきせかえジャケットも存在し、そちらは背景が青い。

 

You were...

作曲:原一博

編曲:HΛL

 

『You were.../BALLAD』ではこちらが1曲目の収録。しんしんとした雪のように可愛らしい音が鳴り渡る雰囲気は『Days』に似ているが、歌われている内容は全く違う。『Days』では相手を想うだけで温かくなるという小さな幸福感が描かれたのに対し、こちらは温かいのは想い出ばかりで、実際にはひとりの冷たさが身に染みている。

「すれ違う恋人達」を見れば、「君が居ない」冷たさを実感してしまう。恋をしている間は「季節さえ忘れる位」だったのに、今はひとりの身に冬が際立っているのだ。「君が最後のひとだと思った」という一節には、やはり『M』の「これが最後の恋であるように」を思い出さずにはいられない。残念ながらこれは最後にならなかった。

話していた夢や口癖を思い出してしまい、「今誰の隣で笑顔 見せているのかな」という想像も巡る。想い出の温かさすら「襲ってくる」という感覚で、苦しみの終わりは見えない。しかし、忘れられたら楽だと分かっている主人公は、なおも「だけどひとつも忘れたくない」と締めくくる。例え「襲ってくる」ような苦しみがあったとしても、想い出の温かさの中にいた方がまだ良いということだろうか。“夏歌”である『HANABI~episode Ⅱ~』の「忘れたいのに 忘れたくない」という心境にも通じる。恋をして輝いたのも、その人がいてくれたのも過去の話、今ここにあるのは想い出と、「忘れたくない」という気持ちだけ。未練とはこういうものなのだとひしひしと伝える1曲である。

PVは、樹木の形をした切り抜きのようなオブジェが立ち並ぶ中で、一人歌うあゆを映す。白い舞台に白いドレスで立つあゆは、短い芝居を演じているかのようだ。あゆのドレスも、何度も登場するパフォーマーの衣装も電飾のように輝き、ゴールドの光や炎が夜のような背景の中で幻想的に浮かぶ。最初に出てくる指人形も可愛いので注目してほしい。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ You were... 歌詞 - 歌ネット

 

 

BALLAD

作曲:D・A・I

編曲:中野雄太

 

『BALLAD/You were...』ではこちらが1曲目の収録。楽曲は『GREEN』のように和風から中華風までをカバーするような音階とサウンドで出来ているが、こちらは大陸に吹き渡る風のように壮大で悠々としている。

歌詞は『You were...』に比べると抽象的で、場面が限定されていないと言える。「あなた」への想いは必ずしも恋愛感情ではないし、「あなた」は側にはいないようだが、そこに至るまでの出来事も具体的には描かれていない。ただ、今は遠いその人に「行かないで」「側にいて」と呼びかける切なさが募って行く。「ballad(バラッド)」とは元々、語り伝えられる物語を歌ったものを示すが、曲調でも歌詞でも、広く誰かに伝わるような普遍性を持つ作品となった。

「夢の途中で目覚めた 睫毛が濡れていた」と歌詞は始まっている。見ていたのは幸せな夢か、悲しい夢か。想いは変わらないが、思い出は増える事はないという。『お願い側にいて』は「許されぬ言葉」。もう会えないということだろうか。それでも強がりには限界があり、「押さえ込まれるだけでは 愛を失くせやしない」と想いが変わらずそこにあり続けることを打ち明けている。

夕焼け空を「あなたのように優しくて」と感じ、月の明かりは「あなたのくれた道しるべ」と受け止める。こうして「あなた」を美しいものの中に見出せるのに、それでも「行かないで」「側にいて」という言葉が出てきてしまう。その願いは叶わないのに……。

PVは、一人の男性が延々と手紙を出し続ける不思議なストーリー。どうやら男性はあゆの大切な人だったようだが……。この世ならざる神秘的な湖のほとりでは、ピンクの衣装に身を包んだ天女のようなあゆが麗しく映える。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ BALLAD 歌詞 - 歌ネット

 

 

RED LINE ~for TA~

作曲:湯汲哲也

編曲:中野雄太

 

カップリングとして収録されたこの時点では歌詞カードに歌詞が載っておらず、後に『Rock’n’Roll Circus』収録時に掲載された。「red line」には「譲れない一線」のような意味があり、「TA」は言うまでもなく「チームあゆ」のこと。

あゆがファンに向けて呼びかける意味のある歌ではいつも、繋がっていこう、結び合っていこうという連帯感が示される。この歌も例に漏れずそうだが、ここでは特に、一日一日を丁寧に生きてゆくことについて考えさせられる。

「幻じゃない」奇跡に出会う瞬間があったとしても、人は日常に流されてゆく。もちろん日常とは、「絶望を感じ」たり、「壁にぶちあたった」りすることがごく当たり前に起こるものであり、滅多に出会えないからこそ奇跡は奇跡なのだろう。けれど、「どこかの誰かが諦めたくなかった明日」が自分の今日だと思えば、例え絶望を抱えていても、「また陽が昇」り今日を迎えられたこと自体、貴重なのではないか。

ここで、とはいえ「どこかの誰か」のことなんて想像できないし、できたところで自分が踏ん張るための力は湧いてこない……と思ったとしても、メッセージの続きを聴いてみよう。「その手を 僕が強く強く握っている」。大丈夫、あゆは側にいてくれるから。

きらびやかなステージを確かに楽しんでいても、終わってしまうとまるで夢だったように感じる。けれどあゆは確かに存在していて、素晴らしい歌を歌い、「どんなに遠くても繋がっている」と示してくれたのだ。『Replace』にも「また逢える時まで 諦めないで歩いていてね」という歌詞があったが、あゆが次のステージに向かって日々を積み重ねてゆく間、我々ファンも一歩ずつ大事に生きてゆきたい。

46thシングル『Sunrise/Sunset ~LOVE is ALL~』

両A面シングル。同じメロディーの楽曲に、違う歌詞を乗せ、違うアレンジを施すという試みがなされた2曲。ジャケットは南国のような景色の中、ブラウンのビキニにパレオという姿で立つあゆ。CDのみ盤とDVD付属盤で少しポーズが違う。DVDには両曲のPVと、『Sunrise』のメイキングを収録。

 

 

作曲:西村華

 

Sunrise ~LOVE is ALL~

編曲:CMJK

Sunset ~LOVE is ALL~

編曲:中野雄太

 

太陽は昇っては沈み、沈んでは昇る。当たり前に繰り返す自然の営みのように、確かな愛で結ばれた二人が呼応する。それぞれの景色から同じメロディーで夏を染め上げる2曲だ。

アップテンポでポップなEDM調の『Sunrise』は「僕」から「君」へ、「もっと信じてみて」「もっと大きな声で」と、「もっと」「もっと」という呼びかけが強調されている。突き抜けていくような明るさに溢れているが、ただ、全てが上手くいっているわけではないらしい。「君」はさっきまで涙を流していたし、「僕」は「君」の言いたい事やまだ見ぬ一面に対して「向き合うつもりになっている だけで 逃げてるよね」と自覚している。それでも「僕」は「受けとめていける自信があるし」「全部覚悟できたから」と前向きで、日の出と共に明るく拓けてゆく視界のような高揚感の中、愛を叫び続ける。

一方、スローテンポでピアノがさざ波のように光るバラードの『Sunset』では、「もっと」だけでなく「そっと」というアプローチも加えられた、「私」から「あなた」への丁寧な想いが綴られる。「私」から見た「あなた」は「ちょっと無神経 てか不器用」であり、そこを好きだと言いながらも「乙女心」も気にかけてほしいと思っている。もしや『Sunrise』の初めで泣いていたのは、二人の間の行き違いが原因だったのだろうか……という想像も出来るかもしれない。「私」もまた踏み出すことへの怖さを抱え、「肝心なところで 話 そらすんだよね」と語るが、「あなた」に伝えたい愛があることは変わらないようだ。歌は夕日を見送りながら想いを語るような安寧さで満ちている。

二人とも、自分の至らないところはよく分かっているし、ためらいや戸惑いも正直に口にする。その上で、完璧ではない者同士、その完璧でないところもひっくるめて愛し合っていきたい、という同じ結論を出している。確かめ合うのは終わりにして、ただ大きな愛、強い愛を惜しみなく伝えよう。不器用なら、その不器用さごと伝えよう。愛は全てだ。そんなストレートな想いが共にある二人ならきっと大丈夫だ。

PVは両曲とも同じ場所で撮影されており、海辺に作られたステージに高く登ったあゆが歌う。『Sunrise』では晴れ空の下、お客さんも高いところから声援を送り、ダンサーの煽りに合わせてタオルを振り回す。『Sunset』ではお客さんは下に降り、しっとりと歌うあゆと共に穏やかな金色の光に照らされる。

 

歌詞リンク:

浜崎あゆみ Sunrise ~LOVE is ALL~ 歌詞 - 歌ネット

浜崎あゆみ Sunset ~LOVE is ALL~ 歌詞 - 歌ネット

再考:『Duty』(後編)

参照:3rdアルバム『Duty』(後編)

   17thシングル『SURREAL』

 

 

SURREAL

 

「背負う覚悟の分だけ可能性を手にしてる」と言い切り、同情心は「まるで役にも立たないね」と突き返す。「大事なモノ」に伴う痛みを自覚し、「感覚だけは閉ざしちゃいけない」と心に決める。それは裏を返せば、時に引き受けざるを得ない痛みも、自分にとっての大事なモノを実感させる証拠の一つということかもしれない。例えば直前の『絶望三部作』で綴られた深い悲しみも、それだけ大事なモノがあったと教えているのだろうか? あゆは想いを歌詞に綴る「感覚」を携え、歌い手としての「可能性」をこれからも広げていくことに決めた。そこに下手な同情は要らないのだ。

アルバム『Duty』とシングル『SURREAL』、どちらのジャケットも檻に閉じ込められた“ヒョウあゆ”だ。しかし『SURREAL』のPVの“ヒョウあゆ”は、ジャングルの奥に潜んでいる。当時のあゆにとっては、どちらが現実で、どちらが理想だったのか。現実とは思えない「どこにもない場所」で、「私は私のままで立ってるよ ねえ君は君のままでいてね」と、シンプルで切実な想いを叫ぶ。言いたくとも言えない「あの人」への想いを抱え、その場所に立ち続けることはどれほどの痛みを伴うだろう? しかしあゆは既に、「背負う覚悟」を決めているのである。

 

 

AUDIENCE

 

Duty』や『SURREAL』を聞くと、何やら悲愴な気持ちにならなくもないが、もちろんあゆは義務感だけで歌っているわけではない。聞き手を巻き込みながら手を叩いて高らかに歌い、「君達が僕の誇り」とはっきり示してくれる。「加速度ばかりが増してる」(『too late』)と目まぐるしい環境に戸惑ったり、『vogue』や『Duty』で移ろう時の無常さを見つめていたりするからこそ、「ウマイこと負けてみよう」という境地になり、先を歩くのでも後ろをついていくのでもない、「君達」と肩を並べたいという気持ちになるのかもしれない。

「皆で分かち合えるように作られている」という「幸せのトリック」の存在を教えてくれるが、あゆも一緒にそれを探してくれるはずだ。「両手を広げて一緒に手を叩いて歩く」という開放的なイメージ、「もうひとりぼっちじゃない」という歌詞の明るさには、このアルバムを聞いてきて初めてほっとする気持ちを抱く。

 

 

teddy bear

 

「~ました」という丁寧語で、物語のように綴られているのは『SCAR』と共通する。こちらの方がより静かで、シンプルな中に深い悲しみが滲み出るような味わいだ。

小さく頼りない背中をしていたという「あなた」と、私との間には何があったのか。「笑い合えていた」という良い思い出の次には、「人はどうして 同じような過ち あと何度繰り返したら~」と、普遍的な言い回しでぼかした表現が続く。そして「期待に弾む胸」「心待ちにして」と楽しみにする気持ちを詳しく描写した後で、翌朝テディーベアを見つけたところは淡々と見た景色を書くのみである。その言葉に現れないものこそが、聞き手に迫り胸を締め付けるのだ。

「昔」と言うくらいには、時間の経った過去なのだろう。それでもこうして思い出してしまうらしい。どんな経験から生まれた作品なのか、テディーベアという可愛らしいアイテムも、あゆの歌の中では哀切を演出するものとなる。

 

 

Key ~eternal tie ver.~

 

「他には何も出来なくて」が歌う理由になっているところが、いかにもあゆらしい。違う言い方をすれば、絵筆であれ、手紙であれ、まず初めに伝えたい想いが心の中にあるということだろう。この作品で、「あなた」への温かな愛を感じると共に、あゆが歌という表現の手段を得た僥倖を思わずにはいられない。「器用には伝えられないけれど」とあるが、それでもなお伝えようとするとき、あゆには歌がある。『AUDIENCE』のように「君達」に向けて高らかに歌うこともあれば、こうして「あなた」に「鍵をかけ」て贈ることもある。他の手段ではない、歌という伝え方。絶望を経て覚悟を決め、歌い手であり続ける中で、歌うことそのものを描いたあゆ作品が幾度となく登場する理由が、何となく分かるような気がする。

 

 

えー……大変久しぶりになってしまいました。8月に入ってから色々とバタバタしておりましたが、幸いにも体調を崩すようなことはなかったのでご安心下さい。

さて、「7月いっぱい」としていた「M 愛すべき人がいて」のタグですが、ずっと付けっぱなしになっております。というのも、前回「再考:『Duty』(前編)」を上げた際に、タグを付けるべき範囲の作品のうち、何故か元記事の『Duty』前編後編にだけタグが付いていないという大失態に気付いてしまったのです。なんてことでしょう……💦

その時点で7月も終わりかけていたので、再考の後編もあるし、『Duty』だけたった数日しか付けないのはあんまりだと思い、付け続けることにしました。

しかしその後編もかなり時間が経ってからの投稿になってしまいました。取り敢えず再考記事はこれで終了し、次にリリース順の続きから記事を上げるので、そのときまでタグを続行します。

何だかかなりグダグダですがこんな感じで……😊

再考:『Duty』(前編)

 

参照:3rdアルバム『Duty』(前編)

 

 

勢い良くスターへと上りつめる『LOVEppears』と、作曲も手掛けながら新たにハードロック路線を獲得していく『I am...』の間に、この『Duty』がある。『A Song for ××』からだんだんと状況や心境に変化はあったにせよ、自らの闇や絶望に向き合い、深く描き出していくあゆ作品の世界は、ここである一つの到達点を迎えたのかもしれない。シングルで「三部作」にするほどの絶望の闇を歌ったことが、多くの人々に支持されるという光をもたらし、しかしその光を浴びるが故にまた闇が深まる……。何とも皮肉なループだ。しかしあゆは歌い手であることを辞めず、自分の言葉で歌い続けた。絶望も、その先にある希望も。

 

 

Duty

 

絶望三部作」の一続きのPVでは、荒廃した世界にあゆの歌う姿を収めたアルバムが残され、そこに喪服姿のあゆが登場する。自らを葬るイメージは、いずれ自分も終わって行く一つの「時代」に過ぎないと歌うこの『Duty』とも重なる。知りたくないけれど本当は知っている、いずれやって来る「自分の番」。その重々しい宿命が鳴り響く。

ただ、誰もが欲しがっていてしかも既に手にしているという「それ」は、価値あるものとも捉えられる。「僕」が「君なら見つけてくれるだろう」と懸けてまで期待しているところからも、そうするだけのものなのだと感じられるのではないか。「僕」が自分の番を引き受ける「義務」を果たした時、「それ」が明らかになるのなら、厳しい世の定めにも希望はあるのかもしれない。

 

 

End of the World

 

「自分よりも幸せなヒト」「惨めな姿」と、卑屈とすら思える言葉の数々や、「ひとりとして 傷も付けずに 生きてくなんて 出来るわけもない」と悲しみを滲ませる描写。誰よりも眩しい光の中にいる人が、その陰にある闇の色濃さから目を逸らさず歌う覚悟には圧倒されるしかない。「私は何を想えばいい 私は何て言ったらいい」と、迷いすらも叫ぶように曝け出す。『too late』には「この道の先がもし 世界の果てでも」という歌詞があるが、『Duty』を制作する頃にはもう果てが見えてしまったのだろうか。明日に何かを願うことのできる「君」が、「私」を解ってくれることで、いずれ「私」に見える世界も変わっていくことを期待してしまう。

 

 

SCAR

 

眠りかけの「僕」に“ごめんね”とつぶやく「君」と、初めて叱られた日にうつむくだけだった「僕」。何となく、不器用な二人である印象を受ける。「さよならさえ上手に 伝えられなかった」ことも、その理由までもはっきりしないことも、その不器用さが招いたことだろうか。今となっては、心に作った同じ傷を感じながら、世の中で繰り返される出会いと別れに思いを馳せるしかない。

「~ました」「~でした」という語尾の丁寧さが一つ一つの思い出を彩り、物語の雰囲気を演出する。曲の最初の方に聞こえるくぐもったセリフのような音声も、悲恋を描いた映画を思わせるようで、楽曲の世界を形作るのに一役買っている。

再考:『A Song for ××』(後編)

参照:1stアルバム『A Song for ××』(後編)

 

 

As if...

 

道ならぬ恋の雰囲気を漂わせながらも、あまりドロドロしたものは感じさせず、あくまでピュアな雰囲気でアルバムに溶け込んでいる1曲。

なにか事情のある二人にとって、「これから先の事」は重くのしかかってしまう。「私」は「いつわりの日々」を「それで一緒にいられるのなら 仕方ないね」と受け止めるしかなく、だからこそその一緒にいられる「今」を大切にしているのだろう。しかし普通の恋人らしさでさえままならない関係に、やはり不安は募る。会わなくなる事まで「あなた」が「仕方のない事」と言うのでは、とたずねたくなるのだ。会わなくなる事それ以上に、「あなた」がそれを受け入れることが辛いのではないだろうか。

「いつの日か いつの日か きっと 一緒にいられるよね…」という途切れそうな願いが、切実なのは言うまでもない。先の事を考えるなら、少なくとも二人の目指すところが同じでないといけないだろう。

 

 

POWDER SNOW

 

ネガティヴで哀しげな言葉が並ぶ中で、注目すべきは「後悔などひとつもしてないの」という、妙に清々しい一文だ。「今を生きてきた」結果、主人公は「誰も私を知らぬ場所へ逃げたいの」「心がもうもたない 明日はいらないの」「ろうそくが溶けてこの灯り消えたら」と、存在を消しかねないほどの境地に立っている。燃え尽きた、という言葉がふさわしいだろう。それも恐らく、主人公があまり望んではいなかった形で。

選んだ道を悔やむのではなく、もう一度やり直そうというのでもない。ただ「涙枯れてしまう位」に泣きたい。積もることのない粉雪は冷たいけれど、何も言わずにその純白で流してくれる。風音を響かせながらフェードアウトしてゆくアウトロが、厳しい孤独を表すかのようだ。

 

 

SIGNAL

 

「思い出なんて いつも都合のいい様に蘇るじゃない」という歌詞はきっと、「過去はきっと現在(いま)とは比べものにならない」という歌詞からつながっている。過ぎてしまって変えられない、だから美化もできる過去。一方、未来とは見えるはずのないもの。だから現在に選べるのは「現在」のみであり、未来が現在に「勝てるわけがない」のだろう。

「新しいドア開けて知らない場所へ出て しまっても私は私だと言い切るから」の言葉通り、あゆは個性を確立しながらも「好きなモノは残さず食べ尽くす」ように、様々な挑戦を続けてきた。だからこの1stアルバムと、後に出した作品とでは印象も違う。その都度、信号が青になったと思ったら迷わなかったのだろう。結果、「どんな場所でも生き抜いて」きた。「私には時間がない」と現在を駆け抜ける疾走感。そんなあゆの生き様は、言うまでもなく初めからある。

 

 

from your letter

 

この歌詞が誰かからもらった手紙が元になっているのだとして、どこまでその文面を再現したものかは分からないが、そこにあった温もりはこの作品と同じものなのだろう。

「いろんな障害」を越え、「いくつもの恋を乗り継」いだからこそ、その道のりの先で出会った「君」に対する想いが溢れる。想いが強ければ、いなくなったら……ということもよぎってしまうけれど、「それでも僕は信じてみる事に決めたよ」と素直に綴る。そんな手紙の内容だけで、受け取った側の心情まで推し量れてしまう歌だ。

 

 

Present

 

初めから歌手を目指していたわけではなく、歌詞も人に勧められて書き始めたあゆ。こうして初期から現在に至るまで、周りのあらゆる人に感謝する楽曲をたくさん作り、何度も何度も歌い続けている。実際に、自ら書いて歌った言葉がたくさんの人に届いたとき、導かれたことへの喜びはどれほどだったのだろう。

たくさんの人が支えてくれることがもらったプレゼントであり、それに感謝する心は相手に贈るプレゼント。そして我々聞き手にとっても、あゆの歌はプレゼントである。

 

 

※「M 愛すべき人がいて」のタグは、7月いっぱい続ける予定です。