黙ってayuを聞け

浜崎あゆみさんの歌 とりわけ歌詞の魅力を語るブログ

今後の予定

あゆりあです。

 

突然ながら、少しの間更新が止まることをお知らせしたいと思います。

と言っても、この更新自体が既に久しぶりですが……。

 

去年の終わり頃から個人的に忙しい日々が続いていて、なかなか記事を書き溜めることができません。ストックがないまま、今書いた記事をすぐに出す状態です。

私としては、やはり出す前にじっくり精査したいですし、余裕を持って投稿したいという思いがあります。

なので、記事をある程度書くまではお休みすることにしました。

 

楽しみにして下さっている皆さんをやきもきさせてしまい、申し訳ないですが、どうか待っていて下さい。

決してこのブログをやめるわけではないので!

 

 

まず今晩、10thアルバム『NEXT LEVEL』(前編)の記事を載せます。それと、『Rule/Sparkle』の『Rule』にちょっと付け足しをします。

その後の更新は気長に待って頂けるとありがたいです。

 

あゆは今年も色々なことを頑張っています。私も頑張らなくては!!

45thシングル『Rule/Sparkle』

両A面シングル。CDのみ盤とDVD付属盤があり、CDのみ盤は『Days』のリミックス収録のものと『GREEN』のリミックスの収録のものの2種類がある。ジャケットはピンクの背景に黄色い衣装と黄緑のグローブで写るあゆで、ネオンカラーが目に焼き付く。3種類とも少しずつポーズが違う。また全種類、初回限定盤は漫画家の鳥山明先生が描いたあゆの似顔絵のピクチャーレーベル

 

 

Rule

作曲:渡辺未来

編曲:HΛL

 

初めから終わりまで攻めの姿勢を一切崩さない、激しく唸るエレクトロニック・ロック。PVでは日本の美を凝らした空間で、忍者のようないでたちの男性達と共に、あゆが激しいダンスを披露する。

「誰かに決められたルール そんなもん必要ない」力強さと自信に満ちた宣言から歌は始まる。ともすれば希望のないように見える時代、「こんな世界もまだまだ捨てた もんじゃないとこ残ってる」と信じながら生きていくには、「この僕らがルール」と言い切るだけの覚悟が必要だ。ただ野放図に決まりを破ろうとしているわけではない。既存の枠にはまらない分、自分でルールを作らなくてはならないのだ。「rule」には動詞で「支配する」という意味もあるが、誰にも頼らずに自分で自分を支配するのは、決して楽なことではない。かつて『evolution』に「こんな時代(トキ)」「こんな地球(ホシ)」に生まれついたけれど何とか生きている、という描写があったのと比べると、「捨てたもんじゃないとこ」を自ら見つけ出そうとしているところが正に「進化」の証だろう。

主人公の「まずは君と僕でルール ぶっ壊して始めよう」「もう怖いものはない そんな気がしてるんだ」という頼もしさが、10周年を迎えたあゆと重なる。『Mirrorcle World』では目まぐるしい世界の中で戸惑う姿も見られたが、今作はその中で自分のルールを作りながら進んでいくという決意なのかもしれない。「確かにね」「そんな気がしてるんだ」といういつものような言い回しと、「そんなもん必要ない」「ぶっ壊して」という思い切った言葉とが混在する歌詞からは、聞き手が知らないうちに決めつけてしまっている“あゆ”像さえも乗り越えていく予感を覚える。あゆがどんな道を選ぶか、それだけがあゆのルールなのだ。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ Rule 歌詞 - 歌ネット

 

 

Sparkle

作曲:原一博

編曲:CMJK

 

こちらもエレクトロニック・ロックで、ささやくように息を潜める場面と、大胆に曝け出すような場面とが交互にやってくる。

「BOYS達」と「GIRLS達」に「強がりはおやすみ」と助言する主人公からは、大人の余裕のようなものを感じられる。初期のあゆ作品に漂う空気を思い出せば、このどこか超然とした様子だけでもあゆの10年の積み重ねが見て取れるだろう。「守りに入らないで」という強い姿勢は『Rule』にも表れていたが、『Rule』が自らの道を選び世界を作り上げていくという決意を示したのに対し、こちらは「理性ばかり優先」せずに「ただビートに 身を任せればいい」、「身体(からだ)で感じて」とより本能的な態度を勧めているようだ。

「可能だとか不可能だとか どこの誰のものさし」「後になって悔やむなんて ありきたりな話はナシ」と煽るような物言いが、まさに大胆さを演出する。そして「いつまでそこでそうやって 指をくわえてるつもり?」と、「BOYS達」と「GIRLS達」、聞き手の心に火を点ける。くすぶり怖気づいている人がもしいるのなら、この歌を発奮材料として、火花を散らすように生きてみてほしい。

PVはこのシングルではなくアルバム『NEXT LEVEL』に収録されている。詳細は当該記事を参照。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ Sparkle 歌詞 - 歌ネット

 

 

 

 

あけましておめでとうございます。……と言うには、日数が経ちすぎてしまいましたね💦。

年末年始に記事を書き溜めておいて、コンスタントに投稿していくのが理想でしたが、意外にも時間は過ぎてゆき、全く思い通りにはいきませんでした……。

ペースに不安はありますが、ともかく書き続けてゆこうと思います。

今年もあゆの歌と共に歩みましょう。

そしてあゆに、ますますの幸せと素晴らしい日々が訪れますように💕

44thシングル『Days/GREEN』、『GREEN/Days』

両A面シングル。43rdシングル『Mirrorcle World』に続くデビュー10周年記念シングルである。『Days/GREEN』には7thシングル『LOVE ~Destiny~』、『GREEN/Days』には8thシングル『TO BE』をリアレンジ・新録ヴォーカルしたものを「10th Anniversary version」として収録。更にそれぞれCDのみ盤とDVD付属盤があり、DVDでは両曲のPVと、『Days/GREEN』では『Days』、『GREEN/Days』では『GREEN』のメイキング映像が見られる。ジャケットは、白いドレスでピンクのバラに囲まれ、バストアップで写るあゆ。4種類ともポーズが少しずつ違う。DVD付属盤には初回限定で縦長のスリーブケース仕様も存在する。

 

Days

作曲:多胡邦夫

編曲:HΛL

 

『Days/GREEN』ではこちらが1曲目の収録。可憐なサウンドが彩る、優しさと温かみに満ちたバラード。冬のさなか、寒さを和らげるように聴きたい1曲だ。

歌詞は「僕」の片想いを綴っている。何気ない言葉も「大事な宝物」に思えるその気持ちは、しかし「自分でも何だか 恥ずかしい位」のもので、「君が知ったらきっと 笑われちゃうんだろう」とも感じる。主人公は「用もなく電話したり」するほど想いを募らせているが、直接それを告げようとはしない。「君がいるそれだけで 心がとても温かくなる」という実感だけを、静かに大切にしているのだ。

2番に入ると、どうやら「君」には「大切な人」がいるらしいということが描写される。切なさを覚える「僕」だが、「君を好きなままでいたい」とだけ願う。「君を想うそれだけで 心は生きる意味をもつから」という歌詞には、そのささやかな願いこそが僕の全てであることが伺える。アルバム『GUILTY』前後は重苦しい流れが続いてきたので、この作品の素朴な内容や素直な言葉選びは、久しぶりに聞き手をほっこりさせるだろう。想いが伝わらない苦しさや、通じ合っても別れてしまう悲しみを描いてきたあゆが、好きでいられるだけでいいと歌うのにも心を動かされる。

PVでは、あゆが想いを寄せる男性といい雰囲気になる……と思いきや、実はそれは夢の中の出来事。正夢を期待するあゆはどうなるのか? というストーリー。歌の内容に沿った内容だが、あゆを取り巻く友情にもほろりとさせられるのではないか。ピンクのふわふわした衣装が可愛らしい。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ Days 歌詞 - 歌ネット

 

 

GREEN

作曲:湯汲哲也

編曲:tasuku

 

『GREEN/Days』ではこちらが1曲目の収録。和声音階をよく用いてきた湯汲哲也さんの楽曲で、今回は和から中華まで広くつながるサウンドをふんだんに響かせる。タイトルは「緑」だが、絢爛豪華な極彩色の世界が見えるようだ。

歌は「凛とした樹々達」が「色を消して行く」という描写から始まる。秋から冬へと向かう景色の表現であろう。鮮やかに季節を描く表現がこの作品でも光る。主人公の「私」は、その様子を「温もりを怖がる」自分の姿と重ね、「あの人」へ恋をしている自分の気持ちに対して、「現実に目を背け」「真実を否定して」いるのだ。『Days』での「ただ好きでいられるだけでいい」という心情とも違い、弱気になってしまっている。恋する相手を「あの人」と呼んでいることにも何となく距離を感じるが、今は「凛とした樹々達」こそが対話の相手なのだろうか。

しかし「私」は、「風が変わる頃にはこの想い伝えようか」と、覚悟にならないまでも考えてはいる。「再び芽吹いた樹々達が色付」く季節に思いを馳せる。「触れた指の先から想いが溢れ出しそう」という表現は、そんな芽吹きのイメージとも重なるかもしれない。やがて樹々が「緑」に染まり、更にその先、多くの色彩が咲き乱れる日が訪れたら、主人公の恋はどうなっているのだろうか。それぞれの季節をロマンティックに描きながら歌い上げる恋の歌となった。

PVはレトロな雰囲気で、上海の華麗な世界を映し出す。きらびやかに歌うあゆを、男装の麗人と思しき女性が見つめている。後に二人が組んで踊る場面はつややかで魅力的だ。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ GREEN 歌詞 - 歌ネット

 

 

LOVE ~Destiny~ (10th Anniversary version)

編曲:小林信吾

 

7thシングルをリアレンジ、ヴォーカルを新録。『Days/GREEN』に収録されている。

前奏などでは原曲でピアノで弾かれていたメロディーがギター中心となり、他の楽器の音色も全体として増えている。元々の切ない曲調に温かさが加わったようだ。

 

 

TO BE (10th Anniversary version)

編曲:HΛL

 

8thシングルをリアレンジ、ヴォーカルを新録。『GREEN/Days』に収録されている。

原曲よりもサウンドにエコーがかかったようなイメージで、優しい浮遊感の中に幻想的な空気が漂う。

 

 

 

 

聖なる夜にこんばんは。あゆりあです。

ちょっと短い令和元年が終わろうとしていますね。

今年の記事はこれが最後になります。年末年始も、あゆと共に、音楽と共に参りましょう。

来年はどんなあゆに出会えるのでしょうか? 楽しみです。

それでは、良いお年を🎶🎵

ベストアルバム『A COMPLETE ~ALL SINGLES~』

「エー・コンプリート・オール・シングルズ」と読む。最初の「A」はロゴ表記。

デビューシングル『poker face』から43rdシングル『Mirrorcle World』までの1曲目がリリース順に収録された(デジタル・ダウンロードシングル『Together When...』を除く)、シングル・コレクション。全曲リマスタリングが施された。複数A面の2曲目以降が収録されなかったのは惜しくもあるかもしれないが、あゆのシングルの歴史を順番に辿れる貴重な作品である。

CD3枚組で、CDのみと、DVD付属盤がある。ジャケットはゴールドの壁の前にゴールドの衣装を着て立つあゆで、それぞれポーズが違う。DVD付属盤の初回盤には全シングルのジャケットの未公開ショットを集めたフォトブックと、ボックスケースが付く。DVDには、初めて映像作品となるライブ映像が25曲収録される。

 

 

DISC 1

 

poker face

YOU

Trust

For My Dear...

Depend on you

WHATEVER

“version M”を収録。

LOVE ~Destiny~

TO BE

Boys & Girls

monochrome

appears

アルバムの音源を収録。

kanariya

アルバムの音源を収録。

Fly high

アル バムの音源を収録。

vogue

Far away

 

 

DISC 2

 

SEASONS

SURREAL

AUDIENCE

途中のギターソロを除いたアレンジ。

evolution

NEVER EVER

Endless sorrow

UNITE!

Dearest

Daybreak

アルバムの音源を収録。

Free & Easy

independent

Voyage

ourselves

forgiveness

 

 

DISC 3

 

No way to say

Moments

INSPIRE

CAROLS

STEP you

fairyland

HEAVEN

Bold & Delicious

Startin’

BLUE BIRD

glitter

talkin’ 2 myself

Mirrorcle World

Who... (10th Anniversary version)

ボーナストラック。元は2ndアルバム『LOVEppears』の収録曲。ヴォーカルが新録されているので、年月を経るうちに出てきた歌い回しの変化を感じてみよう。「これからもずっとこの歌声が あなたに届きます様にと」という歌詞が、10周年を彩る。

アジア版では(Chinese version)として中国語で収録された。

 

 

※「アルバムの音源を収録」とある楽曲は、タイトルからはシングルの記事に、「アルバム」の文字からはアルバムの記事に飛びます。

43rdシングル『Mirrorcle World』

デビュー10周年記念シングルとしてリリース。タイトル曲は9thアルバム『GUILTY』収録の『Mirror』をフルコーラス版にアレンジしたもの。

2ndシングル『YOU』と5thシングル『Depend on you』のどちらかをリアレンジ・新録ヴォーカルしたものを「10th Anniversary version」として収録し、更にそれぞれがCDのみとDVD付属盤があり、計4形態となった。あゆが10年を経て確立した歌い回しで初期の楽曲を聴けるのが面白い。DVD付属盤の初回盤は縦長スリーブケース仕様。ジャケットはバストアップで肌を見せ、色とりどりの蝶を誘うあゆ。それぞれの形態で少しずつポーズが違う。

 

 

Mirrorcle World

作曲・編曲:中野雄太

 

大元の『Mirror』自体、ワンコーラスながら様々な展開を見せる作品だったが、フルコーラスになったことで更にドラマを見せる、プログレッシヴ・ロックの趣のある大作となった。ストリングスのたゆたうシンフォニックな始まりから、『Mirror』の出だしと同じ部分が登場し、軍靴のような独特の緊迫したリズムを刻む。2番の後には縦横無尽のギターのパート、鏡に乱反射する光のように幻想的なパートがあり、何かが割れる音と共にまた緊迫したリズムに戻る。そして『Mirror』のラストへと繋がるのだ。

「現在(いま)のこんな未来を僕は想像してただろうか? 現在のこんな未来を君は想像してただろうか?」。この歌詞が、10周年記念シングルとして歌われる意味を考えたい。このときのあゆの立ち位置は、駆け出したときには想像もしていなかったものなのだろう。では、それをあゆはどう捉えているのか? 『Mirror』でも書いたように、これが自分との対話だとすれば、「君」は過去の自分? 今の自分の内面? 「始まりなのかって? 終焉なのかって?」「身を任せんのかって? 食い止めたいのかって?」と逡巡する様子に胸がざわつく。

「このまま加速度だけが 増し続けたら.....」という歌詞に、『too late』の「世界が逆に周り始めてる 加速度ばかりが増してる」という戸惑いを思い出す。あれから年月を経ても、あゆは目まぐるしく変わる世界への危機感を拭い去ることが出来なかったのだろうか? 「ただ前に進め」と言ってくる「あなた」の期待を、「僕」は痛いほど感じている。「泣かないでいられるのは 強くなったから それとも.....」と、答えの出ない問いを残して歌は終わる。タイトルは「mirror」と「miracle」を合わせた造語と思われるが、鏡にはどんな世界が映っているのだろう? 「奇跡」のように素晴らしいのか、やはり鏡像ゆえに現実味に欠けるのか。そもそも、目で見た世界と鏡の世界、どちらが本当の姿なのか?

PVはパリを舞台に、謎の男達に追われるあゆを描く。豪奢な真紅のドレス姿や、真っ黒なアイメイク、電話ボックスから鋭い眼光で睨みつける場面など、目まぐるしい曲調に相応しく見どころが盛りだくさんだ。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ Mirrorcle World 歌詞 - 歌ネット

 

 

Life

作曲:湯汲哲也

編曲:中野雄太

 

展開に次ぐ展開のタイトル曲と打って変わって、やや感傷的で哀愁の漂うロックバラード。2番の後の間奏で一度3拍子になるという特徴がある。

突然の出来事に襲われた「僕」。受け止められず、「誰か笑ってよ」と思ってしまう。何が起きたかは明言されていないが、悲劇であることは伝わってくるだろう。当たり前の日常が崩れ去ってしまった実感とは裏腹に、「街は今日もまたまわり続け」る。「ねぇ僕には一体何が出来る」「ねぇ君にはどんな風に映ってる」という主人公の問いは心許なげだ。しかし当たり前にあると思っているものが「在って当然なんかじゃない」ということを「君」に教えられたと感じ、「奇跡を起こすんだ」と強い決意で結ぶ。

平穏な日々にあるとき、それが当たり前に続くと思いがちな我々の胸を、この作品はついてくる。一つの命、一度の人生を生きるとは、本当はかけがえのないことなのだ。残念ながら「当たり前」を失ってやっと、それに気付くことも多い。だからこそ悲劇の向こうの「奇跡」を求める主人公の姿に、光射すようなイメージを湧き起こされるだろう。

アルバム収録も未だされたことのないカップリングという、ささやかな立ち位置のこの作品だが、歌番組で披露されたことがある。東日本大震災からひと月も経たないその日、被災地へのメッセージを多くのアーティストが歌った。あゆはいつもの華やかな衣装ではなく、ラフな服装と裸足で登場した。「あまりにも突然すぎた」「ねぇ僕には一体何が出来る」「当たり前の様にいつもあると 思っているものは決して 在って当然なんかじゃないんだ」……状況に寄り添うような歌詞に、視聴者も心打たれたのではないだろうか。「奇跡を起こすんだ」という最後の一文が希望と共に響いた。

 

 

歌詞リンク:浜崎あゆみ Life 歌詞 - 歌ネット

 

 

YOU (10th Anniversary version)

編曲:中野雄太

 

2ndシングルをリアレンジ、ヴォーカルを新録。

原曲のきらめくようなサウンドを大切にしつつ、どこかノスタルジックなアレンジとなっている。

 

 

Depend on you (10th Anniversary version)

編曲:CMJK

 

5thシングルをリアレンジ、ヴォーカルを新録。

原曲のシンセサウンドはやや抑えられ、アグレッシヴなギターを強調したバンドサウンドに寄っている。

再考:『LOVEppears』(後編)

参照:2ndアルバム『LOVEppears』(後編)、及び各シングル(リンクは各タイトルから)

 

 

WHATEVER

全体としてノリの良い曲調で、特にVersion Mの方は早いテンポと突き刺すようなサウンドが特徴的だが、描かれる主人公の姿は心が痛むほど健気だ。「長かったよ もう少しで 凍えそうで目を閉じてた」と、長く耐えてきた日々を振り返る。気持ちを届けられる保障がなくても「揺るぎなく信じる力がここにはある」と言い切り、「平気になったら 笑えばいい」と自らを奮い立たせる。「凍えそう」な状態から「温かい日陽し浴びれる」という期待は、厳しい冬の中で春を待ち侘びるかのよう。「日陽し」を浴びながら、二人の絆が温かく結ばれることを祈りたい。

 

 

appears

「appear」という単語には、「現れる」「姿を見せる」という意味と、「……のように見える」という意味がある。後者で使う場合、「実際のところ、見えている通りであるとは限らない」というニュアンスが含まれる。日本語を母語とするあゆが多くの作品で英語のタイトルを付けていることで、聞き手には含みを類推する余地が生まれるが、『appears』というタイトルには唸るしかない。幸せそうな恋人達はうまくいっている「ように見える」。しかしよく目を凝らせば、決して綺麗事ではないふたりの真実が「現れる」。鋭く現実を突き付けてくる歌詞をこの上なく表した一言なのだ。

PVでは、様々に姿を変えながら街を歩くあゆが登場する。どんな姿をしてもあゆはあゆだ、と言いたいところだが、果たしてあゆは「真実(ホントウ)」をどれほど見せているのか?

 

 

LOVE ~Destiny ~

LOVE ~refrain~

~Destiny~』では、「ただ出会えたこと」「ただ愛したこと」を「忘れない」と心に決め、『~refrain~』では「ありがとう」とまで言う。破局は悲しいことだが、「あなた」を誇りに思う気持ちが自然と生まれる状況で別れを受け入れたのだろう。

そして『~Destiny~』で新たな自分に気付いた更にその先、『~refrain~』では誰もが「悲しく美しい孤独」を描いたり、「何かを犠牲にしては 新しい何かを手に入れてきた」りしたのではないか、と普遍的に考える。永遠なんてなくても、上手くはいかなくても、恋はこうして何かを残していく。

~Destiny~』のPVでは、スターとしての生活の合間に、独りで思いに耽るあゆを映す。世間から見えないところでどんな想いを抱き、どんな経験をして、それを作品へと昇華するのだろうか。シングルで初めてチャート1位を獲得したことを考えると、これまでのPVが断片的に映っているのは素晴らしい演出である。

 

 

Who...

特に印象深いのは、「ふたり離れて過ごした夜」や「ひとりつぶやいていたよ」という歌詞ではないだろうか。辛い時にそばにいたり、本当の強さを教えてくれたりと、たくさんの場面での「誰か」を思い出しているのに、「ひとり」という対比がある。もしかしたら「ふたり」は離れたきりで、もう一緒ではないのかもしれない。それでも、様々な瞬間のその人を思い出しながら、「あなたに届く様にと」歌う。そして「あなた」への想いがそのまま、アーティストとして聞き手に歌を届ける姿勢に重なる。だからファンは、この歌を愛さずにいられないのだ。

再考:『LOVEppears』(前編)

参照:2ndアルバム『LOVEppears』(前編)、及び各シングル(リンクはタイトルから)

 

 

話題になった「白あゆ」「黒あゆ」は、いずれも長い髪を胸元に流し肌を晒すインパクトの強いジャケットだが、このアルバムのコンセプトは「目に見えるものと真実のギャップ」である。曝け出しているのか、そうと見せかけて何かを隠しているのか。我々はただ、あゆの綴った言葉を読み込んでいく外はない。

 

 

Fly high

タイトルや楽曲の高揚感とは裏腹に、飛び立つどころか躊躇してきた過去を振り返っている。「離れられずにいたよ ずっと」というサビもそうだし、「どこかの誰かのこと ふり返ってながめてはうらやんだり」という描写には聞き手にも思い当たる節があるのではないか。「踏み出せずにいる一歩」が「長く長い道」に相当するほど、そのツケは大きかったようだ。けれど「君に出会えたから」何かが変わり、「全てはきっとこの手にある」という確信へと繋がって行く。「飛ぶ」や「翼」のような言葉が歌詞本編に出てこないのに、主人公はタイトル通り高く飛べたのだろうと思い浮かぶから不思議である。

 

 

Trauma

残酷な時間を重ねて今がある。だから「やがて訪れる恐怖」の存在は分かっているけれど、それでも人を求めてしまう。人の悩みは大概が人間関係についてである、と言われるが、この歌で歌われる「傷」もやはり、人と人との心の間で生まれたものだろうか。傷付いてなお誰かを必要とし続けるのは、なるほど「狂気」と呼べるかもしれない。けれど「正気」も「狂気」も「どちらも否定せずに」と主人公の「私」は言う。相反する自分自身を受けとめ、簡単に癒されはしない「傷」を「あの人」に見せたいのだと気付く。苦しみを伴いながらもトラウマと向き合う「私」の姿勢は、愚直そのものだ。

 

 

And Then

淡々とシビアな空気が作品を貫く。「悲しみも苦しみも何もかも分け合えばいいんじゃないなんて カンタンに言うけどねそんなこと出来るならやってる」というもどかしさは、前曲で深い傷でさえ「あの人に見せたい」と言っていたのとは対照的な心情である。この歌は「ふたり」について語られているが、関係性の固まっていないような印象だ。「いつか完全な ものとなるために なんて言いながら」という結論を出さない言い方や、「分け合うことは簡単ではない」という実感から察するに、ふたりはまだまだこれからなのだろうか。「この街を出て」それから始まるのかもしれない。

 

 

immature

この歌は、どうしてこうも切実に響くのだろうか。「そんなにも多くのことなど 望んだりはしていないよ」「もう何も見たくなかったんだ」「守られなかった約束にいちいち 傷ついてみたりしてたんだ」……脆く繊細な心を抱えた「僕ら」の姿が思い浮かぶ。「幸せになりたい」と言わず、「幸せになるために 生まれてきたんだって 思う日があってもいいんだよね」と控えめに過ぎる願いが痛みを伴って突き刺さる。けれど「目の前の悲劇にさえ対応できずに 遠くの悲劇になど 手が届くはずもなく」という歌詞は、裏を返せば、様々な悲劇が起きる世界を前に、何かできないかと考えているようにも見える。主人公は傷ついたまま無力に打ちひしがれているわけではない。だから最後のフレーズが、メジャーに変わるメロディーと共に光をもたらすのだ。

 

 

Boys & Girls

TO BE』、『Boys & Girls』、『A』、そしてこの『LOVEppears』は、歌詞カードのアートワークが一本の糸で繋がるような演出がなされている。何らかの意図があるのか、ちょっとした遊びなのか。この4枚は、加速度をつけてあゆを頂点に押し上げた。いずれも代表曲となった『TO BE』や『Boys & Girls』にはまだあの「A」のロゴマークがあしらわれていないなんて、今やどれくらいの人が知っているだろうか?

「“シアワセになりたい”」と言った回数は数知れず、「一体どこへ向かうの」という問いへの答えは「持ち合わせてない」。「少し戸惑ってた」こともある。それでも「この夏こそはと 交わした約束」を胸に、誰にも止められない勢いで輝き出す。唸るようなギターが支えるシンセサウンド、特にサビの前の4拍のカウントが興奮を煽る。聞き手の熱を高めるこの作品は、あゆ自身をも鼓舞したのだろう。PVで様々な光をまとうあゆも、「輝きだした」という表現に相応しい。

 

 

TO BE

あゆの初期作品において、自分が姿を消したら探してくれる人はいるだろうかと考えてしまう『Hana』や、「詞でも書いたかのような気になって」と自嘲気味の『And Then』のように、自分の価値に確信を持てない描写は、孤独感と相まって切ない痛々しさを響かせる。

TO BE』での「ガラクタ」という物言いも、恐らくはあゆ自身に向けられていて、だからこそ「宝物」だと言って抱え続けてくれた「君」に、「君がいなきゃ何もなかった」という感情を湧き起こすのだろう。「君」に自分の存在そのものを支えられ、「決してキレイな人間(マル)にはなれないけれどね いびつに輝くよ」と自分なりのスタンスを見つける。ピアノとギターを感傷的に奏でながらも優しい光のように満ちてゆくこのバラードが、代表作の一つになったのは必然の流れだ。

もちろん、聞き手は自分にとっての「君」を思い浮かべていい。それが「あゆ」であってもいい。

 

 

 

 

元記事の『LOVEppears』と、『appears』の記事に、『LOVEppears / appears -20th Anniversary Edition-』について書き加えました。

 

再考記事ではアルバムの全ての曲を再考する訳ではありません。逆に、アルバム未収録の楽曲でもまとめて再考することもあります。

自分にとって、最初の記事で書き足りない部分があったかどうかで再考を判断しています。

「書き足りない」というのは内容であって、必ずしも分量ではありません。最初に再考した『絶望三部作』は、元の記事もそれほど短い訳ではないのですが、もう少し書きたいことがあったので記事にしました。